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ふと気がつくと、中国の胡錦濤・国家主席は帰っていた。
で、私の今の正直な感覚を述べるなら、「結局この人、一体何をしに日本までやって来たんだろう」とそんなユルい疑問だけが残った訪日ではあった。
もっとも江沢民の訪日のように行く先々で歴史問題を口にしてしつこく謝罪を要求するという実に険悪なことをやらかすよりは、いっそ何もしないほうが随分マシだ、とは思うのだが。
安部前総理も晩餐会で、ちょっぴりアブないことも言ったようだが、だって空気の読めない人なんだから、という評価がすでに定着しているのか、なかなか大事には至りにくいようだ。
中国は、北京五輪の成功にチベット問題の沈静化と、当面の難局を乗り切るのに精一杯で歴史問題どころではなくなったのか。
だが江沢民が主席時代に、歴史問題によって中国の国民に刷り込んだ反日感情は多分根深い。
胡錦濤は一体何をしに訪日したのか。どんな成果があったのか。
その疑問を厳しく追及するのは日本の国民ではなく、案外中国の国民の方なのかもしれない。
結局、戦略的互恵関係の構築は、日中関係においては今は何一つ解決しない方がいい、という解決策をとったのであった。
で、私の今の正直な感覚を述べるなら、「結局この人、一体何をしに日本までやって来たんだろう」とそんなユルい疑問だけが残った訪日ではあった。
もっとも江沢民の訪日のように行く先々で歴史問題を口にしてしつこく謝罪を要求するという実に険悪なことをやらかすよりは、いっそ何もしないほうが随分マシだ、とは思うのだが。
安部前総理も晩餐会で、ちょっぴりアブないことも言ったようだが、だって空気の読めない人なんだから、という評価がすでに定着しているのか、なかなか大事には至りにくいようだ。
中国は、北京五輪の成功にチベット問題の沈静化と、当面の難局を乗り切るのに精一杯で歴史問題どころではなくなったのか。
だが江沢民が主席時代に、歴史問題によって中国の国民に刷り込んだ反日感情は多分根深い。
胡錦濤は一体何をしに訪日したのか。どんな成果があったのか。
その疑問を厳しく追及するのは日本の国民ではなく、案外中国の国民の方なのかもしれない。
結局、戦略的互恵関係の構築は、日中関係においては今は何一つ解決しない方がいい、という解決策をとったのであった。
近頃、仕事が多忙である。まぁ、もう少しで落ち着くでしょう。
五輪聖火リレーの模様がやたらとテレビで報道されている。
本来とは、別の意味で面白い見世物にされてしまっているようだ。ダライラマは中国政府のチベット政策を文化的虐殺だと非難している。
そんな訳で本棚に随分昔に買った「チベットの死者の書」なんて本があったのでちょっと開いてみた。以前読んだ時には、立花隆が書いた臨死体験にある種の相似性や類似性があるのでは、と思ったのを覚えている。
「チベットの死者の書」にはポワ(転移)なんて、おそらくは、もともと一般にはほとんど知られてはいなかった宗教用語も登場する。
この言葉をとってもアブナいカルトで残虐な宗教儀式として一気にメジャーでポピュラーな言葉にしてしまったのは、もちろんあのオウム真理教の麻原彰晃。
死者の書と呼ばれるのは、たしか「エジプトの死者の書」なんてのもあった。
で、加藤紘一の主催する超党派の議員で組織した韓国訪問団の勉強会。当初はビビンバの会なんて云う全く芸のない名称だったのが、「ラー(太陽神)の会」なんて、全く訳の解らない名称に変更された。
何なんだ・・・。センスがないのは言うまでもないが、政治家先生達の政界再編も睨んだいささか生臭い勉強会が何で太陽神ラーなのか意味も理由も全く解らない。
まぁ、哲学者の梅原猛なんて浮世離れした学者先生のネーミングだから、多少マトを外していても、だからこそ、加藤紘一の本当の目的を隠蔽するには、ちょうどいいネーミングなのかも知れない。
五輪聖火リレーの模様がやたらとテレビで報道されている。
本来とは、別の意味で面白い見世物にされてしまっているようだ。ダライラマは中国政府のチベット政策を文化的虐殺だと非難している。
そんな訳で本棚に随分昔に買った「チベットの死者の書」なんて本があったのでちょっと開いてみた。以前読んだ時には、立花隆が書いた臨死体験にある種の相似性や類似性があるのでは、と思ったのを覚えている。
「チベットの死者の書」にはポワ(転移)なんて、おそらくは、もともと一般にはほとんど知られてはいなかった宗教用語も登場する。
この言葉をとってもアブナいカルトで残虐な宗教儀式として一気にメジャーでポピュラーな言葉にしてしまったのは、もちろんあのオウム真理教の麻原彰晃。
死者の書と呼ばれるのは、たしか「エジプトの死者の書」なんてのもあった。
で、加藤紘一の主催する超党派の議員で組織した韓国訪問団の勉強会。当初はビビンバの会なんて云う全く芸のない名称だったのが、「ラー(太陽神)の会」なんて、全く訳の解らない名称に変更された。
何なんだ・・・。センスがないのは言うまでもないが、政治家先生達の政界再編も睨んだいささか生臭い勉強会が何で太陽神ラーなのか意味も理由も全く解らない。
まぁ、哲学者の梅原猛なんて浮世離れした学者先生のネーミングだから、多少マトを外していても、だからこそ、加藤紘一の本当の目的を隠蔽するには、ちょうどいいネーミングなのかも知れない。
私は、決して裁判の詳細や争点に熟知している訳ではない。しかし被告側の全面勝訴は正直いって意外だった。まぁ私自身は集団自決は軍の強制、関与はあったと思っているのだが。
集団自決の裁判なのだが。
私は以前から民事訴訟と歴史考証は別物、と考えていた。だから裁判の結果が教科書の記述に強い影響を与えるのは問題だ、と思っている。
しかしだ、文部科学省の検定意見自体がこの裁判が係争中てあることを理由としてあげている以上、全く影響がない、というのも有り得ない話になってしまう。しかし、原告側は控訴の方針なのでこの問題はまだまだ続くわけだ。
大体私には、教科書検定審議会が文部科学省の検定意見の追認機関に成り下がっているとしか思えないので、裁判の結果もさることながらそのあたりをもう少し是正して欲しいものだ。
審議会がもう少し客観的で厳正な歴史考証の場として機能しなければならんのじゃないかと私なんかは思ったりするのだが。
時勢や時の政権の影響により歴史教科書の記述が右から左へ、左から右へとコロコロ変わるというのでは、やりきれない。もういい加減、教育に政治を持ち込むのはやめろと文句を言いたくなるのだ。
しかし恐らくいつの世にも教育は政治に利用され続けてきた。それは現在も全く変わらない、というだけの話なのかもしれない。
集団自決に限らず、よく双方とも「この問題を政争の具に利用するな」と非難しあうのをテレビや雑誌で見かける。もう見慣れた、というか見飽きた光景なのだ。
集団自決の裁判なのだが。
私は以前から民事訴訟と歴史考証は別物、と考えていた。だから裁判の結果が教科書の記述に強い影響を与えるのは問題だ、と思っている。
しかしだ、文部科学省の検定意見自体がこの裁判が係争中てあることを理由としてあげている以上、全く影響がない、というのも有り得ない話になってしまう。しかし、原告側は控訴の方針なのでこの問題はまだまだ続くわけだ。
大体私には、教科書検定審議会が文部科学省の検定意見の追認機関に成り下がっているとしか思えないので、裁判の結果もさることながらそのあたりをもう少し是正して欲しいものだ。
審議会がもう少し客観的で厳正な歴史考証の場として機能しなければならんのじゃないかと私なんかは思ったりするのだが。
時勢や時の政権の影響により歴史教科書の記述が右から左へ、左から右へとコロコロ変わるというのでは、やりきれない。もういい加減、教育に政治を持ち込むのはやめろと文句を言いたくなるのだ。
しかし恐らくいつの世にも教育は政治に利用され続けてきた。それは現在も全く変わらない、というだけの話なのかもしれない。
集団自決に限らず、よく双方とも「この問題を政争の具に利用するな」と非難しあうのをテレビや雑誌で見かける。もう見慣れた、というか見飽きた光景なのだ。
特に書きたいこともないのだが、チベットの独立運動でまたも中国が窮地に立たされるか、なんて考えるが、恐らく天安門事件のような大騒動にはならないのだろうと思う。
アメリカを始め国際社会も多分今回の暴動にはかなり抑制的な態度をとるのだろうな、などと思っている。
もはや中国はアジアの前近代的な巨大開発途上国などではない。政治的にも経済的にも言葉どおりの大国だ。
だがやはりチベットの主権と人権にたいする抑圧的な政策は良くないのだろうと思っているが、youtyubeでこんなのを見つけたのでちょっと張ってみる。
もちろん私はこの主張が全て正しいなどと思っているわけではない。だが欧米中心の世界観や価値感にたいする一種のプチ・アンチテーゼとして。日本では、グローバルスタンダードなんて言葉が横行しているが、結局は、欧米かよ、とツッコミを入れたくなるようなスタンダードではないんだろか、なんてつい考えたりして・・・。
日本にも言及している。hokkaido, okinawa independenceだと・・・。
うーん、アイヌ人と琉球人はネイティヴって訳か。まぁ・・いいや。
アメリカを始め国際社会も多分今回の暴動にはかなり抑制的な態度をとるのだろうな、などと思っている。
もはや中国はアジアの前近代的な巨大開発途上国などではない。政治的にも経済的にも言葉どおりの大国だ。
だがやはりチベットの主権と人権にたいする抑圧的な政策は良くないのだろうと思っているが、youtyubeでこんなのを見つけたのでちょっと張ってみる。
もちろん私はこの主張が全て正しいなどと思っているわけではない。だが欧米中心の世界観や価値感にたいする一種のプチ・アンチテーゼとして。日本では、グローバルスタンダードなんて言葉が横行しているが、結局は、欧米かよ、とツッコミを入れたくなるようなスタンダードではないんだろか、なんてつい考えたりして・・・。
日本にも言及している。hokkaido, okinawa independenceだと・・・。
うーん、アイヌ人と琉球人はネイティヴって訳か。まぁ・・いいや。
為替相場がついに100円切ったか。一時98円台までいったとか。ドルが世界の基軸通貨の座から滑り落ちる日が近いのかな。世界の金融市場の地殻変動みたいなものが始まっているのかな。
で日本では次期日銀総裁が決まらない、という実に情けない騒ぎになっている。
読売新聞の社説では、
世界の金融市場の安定へ、各国中央銀行の連携が必要な時だ。
日銀総裁の空白は、許されない。
で日経新聞の社説では、
総裁空席となれば、内外の金融市場などの混乱は避けられず、
国際社会での日本への信頼感が失墜しかねない。
でも仕方ないじゃないか。国会が不同意なんだから。ねじれてても国会は国会なんだから。
この騒動、マスコミの論調では主に民主党への風当たりが強いようだ。民主党の財務次官経験者の武藤氏では日銀の独立性が担保されない、との主張も日経新聞の社説では説得力がない、と批判されている。
でも仕方ないじゃないか。今回の不同意は民主党の方針であると同時に国会の決定でもあるのだから。
問題とすべきは、総裁不在を想定していない日銀法の制度的な不備ではないのか。
武藤氏の経歴で日銀の独立性が担保できない、と民主党が言う以前に日銀総裁の任命には国会の同意が必要であるというシステム自体が日銀の独立性を制度的な面から担保している訳だから。 今回それが発動されたというだけの話じゃないか。
国会が不同意である以上これが民意だと捉えるしかないじゃないか。
だから福田総理はさっさと国会の同意が得られる候補に差し替えればいいだけの話じゃないか。それが民主主義なんだ。もともと代議制民主主義なんて、そんなに使い勝手がいいもんじゃないんだ、ってことじゃないのかな?結局は・・・。
もちろん今回の不同意は国民の直接的な意志ではない、必ずしも国民が武藤氏の不同意を支持しているとは限らない、と考えることは十分可能だ。
しかしそれを言ってしまうと結局は間接民主主義や代議制というものの本質的な欠陥に行き着くことになりはしないか。
もともと間接民主主義や代議制自体が極めて迂回的な民意の反映方であり、必ずしも民意を正確には反映しない仕組みなのだから。
読売のように、民主党を視野が狭いと非難するのも結構だが、だからと言って、国会の決定を軽視していいという訳でもあるまい。
またこの程度の民意にしてこの程度の政治なのだ、と主張するのも下手をすれば民主主義そのものを否定することになりかねない。高かろうが低かろうが民意は民意なのだから。
もともと民主主義はアメリカの大統領が他国への軍事介入をいとも簡単に正当化できるほど完全無欠な政治制度ではないと思う。
民主主義にも欠陥はあるのだ。
民主主義を政策実現のプロセス、という観点から捉えるならば、恐らく歴史上最も非効率的な政治制度なのではないだろうか。
結局、民主主義は最上の政治を実現することには全く適さない政治制度であるが、最悪の政治的事態に陥ることを回避するのには非常に適した政治制度なのではなかろうか。
で日本では次期日銀総裁が決まらない、という実に情けない騒ぎになっている。
読売新聞の社説では、
世界の金融市場の安定へ、各国中央銀行の連携が必要な時だ。
日銀総裁の空白は、許されない。
で日経新聞の社説では、
総裁空席となれば、内外の金融市場などの混乱は避けられず、
国際社会での日本への信頼感が失墜しかねない。
でも仕方ないじゃないか。国会が不同意なんだから。ねじれてても国会は国会なんだから。
この騒動、マスコミの論調では主に民主党への風当たりが強いようだ。民主党の財務次官経験者の武藤氏では日銀の独立性が担保されない、との主張も日経新聞の社説では説得力がない、と批判されている。
でも仕方ないじゃないか。今回の不同意は民主党の方針であると同時に国会の決定でもあるのだから。
問題とすべきは、総裁不在を想定していない日銀法の制度的な不備ではないのか。
武藤氏の経歴で日銀の独立性が担保できない、と民主党が言う以前に日銀総裁の任命には国会の同意が必要であるというシステム自体が日銀の独立性を制度的な面から担保している訳だから。 今回それが発動されたというだけの話じゃないか。
国会が不同意である以上これが民意だと捉えるしかないじゃないか。
だから福田総理はさっさと国会の同意が得られる候補に差し替えればいいだけの話じゃないか。それが民主主義なんだ。もともと代議制民主主義なんて、そんなに使い勝手がいいもんじゃないんだ、ってことじゃないのかな?結局は・・・。
もちろん今回の不同意は国民の直接的な意志ではない、必ずしも国民が武藤氏の不同意を支持しているとは限らない、と考えることは十分可能だ。
しかしそれを言ってしまうと結局は間接民主主義や代議制というものの本質的な欠陥に行き着くことになりはしないか。
もともと間接民主主義や代議制自体が極めて迂回的な民意の反映方であり、必ずしも民意を正確には反映しない仕組みなのだから。
読売のように、民主党を視野が狭いと非難するのも結構だが、だからと言って、国会の決定を軽視していいという訳でもあるまい。
またこの程度の民意にしてこの程度の政治なのだ、と主張するのも下手をすれば民主主義そのものを否定することになりかねない。高かろうが低かろうが民意は民意なのだから。
もともと民主主義はアメリカの大統領が他国への軍事介入をいとも簡単に正当化できるほど完全無欠な政治制度ではないと思う。
民主主義にも欠陥はあるのだ。
民主主義を政策実現のプロセス、という観点から捉えるならば、恐らく歴史上最も非効率的な政治制度なのではないだろうか。
結局、民主主義は最上の政治を実現することには全く適さない政治制度であるが、最悪の政治的事態に陥ることを回避するのには非常に適した政治制度なのではなかろうか。



