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 ポスト小泉は、安部、福田に絞られてきた、というのが一般的な見方になっているようですね。
 安部シンゾウーさんを支持する議員が、再チャレンジ支援議員連盟を結成したそうで。機会の平等、安部は、以前からそう言っていたので再チャレンジ推進会議もその趣旨にそったものなんでしょう。
 
 機会の平等は、小泉政権のもとで拡大したといわれている格差社会への批判をかわす重要なキーワードなのでしょう。競争社会を健全なのもとして肯定し、なおかつ負け組みの不満を封じ込めるためには、なかなか都合のよい考え方のようにも思えます。
 そこでアメリカ社会では、一度失敗した経営者がその後成功したという事例が多々ある、という話が続いてきます。

 しかし、どうすればそんな社会が作れるのでしょうか。実効性ある具体的な政策をということになるとなかなか困難な問題ではないでしょうか。
 また、この考え方の根底には、欧米社会への行き過ぎた同化志向も伺えるのではないしょうか。いわば、政治政策の世界にグローバルスタンダード的志向を無造作に適用したものだと見えなくもありません。
 
 実質的に小泉首相が、推していると言われている安部。
 ならば政治手法も小泉にちかいのかも知れません。
小泉総理は従来の派閥間のバランスに依拠した根回し的な政治家とは違い、欧米流の大統領的な一極集中の強権政治を志向していたように思えます。

 靖国神社の参拝にしても、多分、復古礼賛的な歴史認識の上に立ったものではないでしょう。私にはむしろ、小泉総理の靖国参拝もやはり自・他対峙的な欧米型のナショナリズムを演出した結果なのではないかと思えるのです。
 
 しかし、それが中国や内外のメディアから日本の歴史認識の再評価の政治的意図の表れと受け取られたとしても、小泉総理に、全く責任がないとは言えないのではないでしょうが。

 安部が小泉政治の後継者と見られるのも、政策内容の類似性もさることながら、両者が志向する政治スタイルの類似性にもよるのではないでしょうか。

 教育基本法の改正において愛国心が強調されるのも、その目的は、戦後の日本社会から失われた愛国心の復活と云うよりはむしろ、世界標準(実は欧米標準)としての愛国心を育成することによって、日本社会のグローバル化に対応する欧米型のナショナリズムの確立にあるのでないでしょうか。
 
 そして、その水脈は憲法の改正の議論にも深いところで繋がってはいないでしょうか。

 最後に安部と福田どちらに次期総理になってほしいか。
 私は福田です。安部シンゾーはそのマスクの良さ、主張の解りやさ、で支持され、何よりも顔のはっきり見える欧米的な政治家なのかもしれません。
 しかし、私は従来の日本の総理大臣によくあるタイプ、つまり顔のよく見えない解りにくい総理がまた出てきてもいいんじゃないかと思っている。

 あのしたたかな中国と外交問題で渡り合うためには、解りにくくて懐が深い政治家の方がむしろいいのではないかと。
 
 もちろん福田がそのタイプの政治家なのかは私には、判然としません。
 しかし、女性や若者に人気のあるのは安部でしょうが、私のようなへそ曲りのオジサン達の好みは、やはり福田サンではないでしょうか。



テーマ:格差社会
ジャンル:政治・経済
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