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 近くの本屋で中央公論12月号を買ってきた。このテの雑誌はどちらかというとあまり買わない方なのだが目次を見て、へぇ、こんなものがね、と思った特集記事があったので、つい買ってしまった。
 目に付いたのは「スピリチュアルって何」という、昔の芥川賞の受賞作の題名に引っ掛けたようなテーマの特集だ。
 
 へぇ、こんなものがブームになっているのか。
スピリチュアルという言葉は勿論知っているが、こんな総合雑誌で、特集を組まれるほどのブームになっているとは全然しらなかった。
 東京ではブームになっているのかもしれないが、地方の都市では、それ程目に付くような現象ではない。

 自己啓発や瞑想関係のセミナーなどが開催されていない訳でもない。だが最近目立って多くなった、と言うほどでもない。パワーストーンを取り扱っている店を見かけないわけでもない。だが店内にお客がごった返しているという光景にも出くわしたことがない。占いの店は確かに多い。しかし、若い女性客が長い行列を作っている光景などついぞ見かけたことがない。

 特集記事よると江原敬之助がブームの火付け役のようだが、もともと沖縄は先祖崇拝を重視する土着の宗教観が根強く、これを体現したユタという霊媒が今でも数多く存在するので、江原敬之助ごときが簡単にそのシェアを奪えるような地域ではないのだ。

 だがこの特集をざっと読む限りスピリチュアル的なものの概念は、占い、超能力、ヨーガ、チャネリング、自己啓発セミナー、パワーストーン、数多のサイコセラピー、ユング心理学と、まぁほとんど何でもOK,か、と云いたくなる様な無節操さには少々辟易もする。

 ユングの心理学や夢理論は、一部ののサイコセラピーにおいて、安易に利用されすぎている、とは以前から思っていたのだが。

 今の日本、自己逃避する方法やアイテムには事欠かないようだ、といいたくなるが、それでは真面目にやっている人に対して失礼かも。でもそんな人達もそれが、表層的で一時的な癒しにはなっても根本的な解決ではない、とは感じているのではないのだろうか。それでもないよりはマシだ、と。たとえその場凌ぎの癒しでもなくちゃやってられない、と。そうではないだろうか。

 一種の社会現象と云っていいのだろうが、現在、いかに多くの人が、漠然とした内面的な閉塞感を抱えているか、という推察も成り立たぬわけではない。

 現代人の人間関係の希薄さもその一因となっているのだろう。
しかし、一方人々は、希薄な人間関係によって生ずる閉塞感や孤独感を抱えながらも、濃密な人間関係には耐えられない。で、回避する。
 要するにショーペンハウアーのヤマアラシ状態なのだが、内面的な閉塞感の解決を現実の人間関係ではなく、霊や前世といったかつて人間だったものとの対話、或いは、狭い占い部屋やサイコセラピーや自己啓発セミナーといった現実から遊離した閉鎖的な空間に求めるのだろう。

 だが、こうした行動の契機には一種の退行願望さえも感じるのだ。

 数年前高野山に行った。観光客が多かったのだが、これはブームだけで片付けちゃいかんのだろうな。やはり非日常的なスピリチュアルな空気に触れてみたいという願望をいかに多くの人がもっているかということなのかもしれない。

KOUYAZAN



そして、私にとって結構スピリチュアルだった本がこれ。
クリシュナムルティの「自我の終焉」「瞑想録」

自我の終焉―絶対自由への道 自我の終焉―絶対自由への道
J.クリシュナムーティ (2000)
篠崎書林

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クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔
ジッドゥ クリシュナムルテイ (1998/09)
サンマーク出版

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 インド人なのですが、東洋的な瞑想精神と欧米的な理知が融合したような不思議な魅力のある本です・・・。はい。




テーマ:本に関すること
ジャンル:本・雑誌
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