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教育基本法は野党が審議を拒否で欠席。与党が単独強行採決し衆議院を通過。
与野党双方とも互いのやり方を非難している。
勝手に欠席した側と勝手に採決した側の下らぬ罵り合いなのだが、法案を見る限り何故これほど性急に採決しなければならない程の内容なのか、と考えたくなる。
少なくとも、中教審の最終答申、そして文部科学省の提案理由説明を読んだ限りでは、それほど差し迫った採決が必要な理由はない。
改正案で目に付くのは、個人の人格の育成と完成を主眼とした現行法から、公共精神を重視し、社会や国家の成員として国家と伝統を愛する国家観の形成に重心を移す内容になっていることか。
それと義務教育の機会の保障とその水準の確保に国と地方公共団体の責務を明記したところか。
中教審の答申では、 グローバル化が進展し,国際社会の一員として,まず自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め,尊重し,日本人であることの自覚や,郷土や国を愛する心の涵養を図ることが重要であるとしながら、それが国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない、という内容になっている。
これを見る限りますます何故あんなに性急に採決しなければならないのかますます解らない。もちろんタウンミーティングのやらせ問題を封じ込めるための手段でもあっただろう。
この法律は、戦後の占領政策下における民主化政策の一環として新憲法とともに制定された法律のようだ。
国会議事堂のホームページの会議録検索システムから、昭和22年2月14日の貴族院本会議における文部大臣、高橋誠一郎の議会答弁を見ても、「是は教育の憲法とも稱すべきもの」「又憲法と他の教育法規との關係、關聯を橋渡し致す所のもの」とされ、憲法との関連性が強く意識されている。
さらにその1年後、教育勅語が廃止される。
むしろ、その「教育勅語等排除に関する決議」の方に、新憲法、教育勅語、教育基本法の三法の関係と教育基本法制定の意図と目的が一層明確に現れている。
教育基本法の制定当初は、必ずしも教育勅語の廃止を前提としていたわけではないようだ。だが、旧憲法下の主権在君に基づく国家観と強い親和性を有する教育勅語の指導原理が、新憲法の理念に反する、との認識から廃止となり、これに代わり、教育基本法が新憲法下の教育指導原理としての位置づけがなされた経緯が窺える。
さらに決議が、勅語の存続を国際信義への疑点を残すものとし、ポツダム宣言にも言及していることから、日本の非軍事化、民主化を進めるGHQの占領政策の意向にそって提案されたものであることは明白ではないだろうか。
こうした教育基本法成立の歴史的な背景を考えれば、タカ派ウヨク志向の安部総理にとっては、同法の改正は占領政策の一環として成立した憲法の改正と本質的には同じ意味を持つものであると捉えている可能性も否定出来ない。
だからこそ安部は総理教育基本法の改正案の今国会中での成立に異様な程の執着を見せたのだはないだろうか。
A級戦犯容疑者である岸信介を祖父とし、同じくA級戦犯容疑者の松岡洋右をも親戚筋に持つ安部総理のDNA。
彼の野望は、GHQによる占領政策の制度残滓を日本から完全に抹殺してしまうことなのかも。その執念が、今回の教育基本法の改正に滲みでてはいないだろうか。
だからこそ彼にとっては、教育基本法の改正は、自主憲法の制定を視野に入れた政策である同時に、本質的には憲法改正と同じ意味を持つ政策ではなかっただろうか。そして彼が執念を燃やす憲法改正の序章ではなかっただろうか。
与野党双方とも互いのやり方を非難している。
勝手に欠席した側と勝手に採決した側の下らぬ罵り合いなのだが、法案を見る限り何故これほど性急に採決しなければならない程の内容なのか、と考えたくなる。
少なくとも、中教審の最終答申、そして文部科学省の提案理由説明を読んだ限りでは、それほど差し迫った採決が必要な理由はない。
改正案で目に付くのは、個人の人格の育成と完成を主眼とした現行法から、公共精神を重視し、社会や国家の成員として国家と伝統を愛する国家観の形成に重心を移す内容になっていることか。
それと義務教育の機会の保障とその水準の確保に国と地方公共団体の責務を明記したところか。
中教審の答申では、 グローバル化が進展し,国際社会の一員として,まず自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め,尊重し,日本人であることの自覚や,郷土や国を愛する心の涵養を図ることが重要であるとしながら、それが国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない、という内容になっている。
これを見る限りますます何故あんなに性急に採決しなければならないのかますます解らない。もちろんタウンミーティングのやらせ問題を封じ込めるための手段でもあっただろう。
この法律は、戦後の占領政策下における民主化政策の一環として新憲法とともに制定された法律のようだ。
国会議事堂のホームページの会議録検索システムから、昭和22年2月14日の貴族院本会議における文部大臣、高橋誠一郎の議会答弁を見ても、「是は教育の憲法とも稱すべきもの」「又憲法と他の教育法規との關係、關聯を橋渡し致す所のもの」とされ、憲法との関連性が強く意識されている。
さらにその1年後、教育勅語が廃止される。
むしろ、その「教育勅語等排除に関する決議」の方に、新憲法、教育勅語、教育基本法の三法の関係と教育基本法制定の意図と目的が一層明確に現れている。
教育基本法の制定当初は、必ずしも教育勅語の廃止を前提としていたわけではないようだ。だが、旧憲法下の主権在君に基づく国家観と強い親和性を有する教育勅語の指導原理が、新憲法の理念に反する、との認識から廃止となり、これに代わり、教育基本法が新憲法下の教育指導原理としての位置づけがなされた経緯が窺える。
さらに決議が、勅語の存続を国際信義への疑点を残すものとし、ポツダム宣言にも言及していることから、日本の非軍事化、民主化を進めるGHQの占領政策の意向にそって提案されたものであることは明白ではないだろうか。
こうした教育基本法成立の歴史的な背景を考えれば、タカ派ウヨク志向の安部総理にとっては、同法の改正は占領政策の一環として成立した憲法の改正と本質的には同じ意味を持つものであると捉えている可能性も否定出来ない。
だからこそ安部は総理教育基本法の改正案の今国会中での成立に異様な程の執着を見せたのだはないだろうか。
A級戦犯容疑者である岸信介を祖父とし、同じくA級戦犯容疑者の松岡洋右をも親戚筋に持つ安部総理のDNA。
彼の野望は、GHQによる占領政策の制度残滓を日本から完全に抹殺してしまうことなのかも。その執念が、今回の教育基本法の改正に滲みでてはいないだろうか。
だからこそ彼にとっては、教育基本法の改正は、自主憲法の制定を視野に入れた政策である同時に、本質的には憲法改正と同じ意味を持つ政策ではなかっただろうか。そして彼が執念を燃やす憲法改正の序章ではなかっただろうか。
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