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次期総理は安部でほぼ確実な情勢になってきたら、中韓両政府が突然、妙なことを言い始めた。次期首相の靖国神社参拝について、就任後一度だけなら容認するとの提案だ。
一度だけなら? 理解に苦しむ、という程ではないが、とりあえず譲歩の姿勢を示した提案であることには間違いない。しかし何故、一度までならよくて二度からは駄目なのか、よく訳がわからないが。

 一回だけなら、○○○て・あ・げ・る! ヾ(^-'*) うふ♪

しかし、日本からは、中途半端な提案に見えたとしても、中韓にしてみれば、かなり思い切った、ほとんど歴史的な譲歩のつもりかも知れない。
安部次期政権も靖国で大きく躓き、参院選で惨敗すれば、以外に短命に終わる可能性だってないとは言えない。総裁選ロングテール組や、立候補さえ出来ない負け組み落伍者も安部政権は短命、のシナリオを何とか実現させて、ポスト安部に再チャレンジを企んでいるかも知れない。政界の権力闘争にも機会の平等は十分保障されていいはずだ。
とにかく安部は、総理就任後、早々に靖国参拝という踏み絵の前に立たされるはずであったのが、少なくとも一回は猶予されることになった訳である。

「他国に言われたから行かないと云うのでは・・・」
靖国参拝自粛に対する反論において、ほとんど謳い文句のように必ず飛び出す言葉なのだが、この言葉の裏にはまた、ある種の被害感情も潜んでいるような気がしてならない。そしてそれはおそらく、彼らが忌み嫌うあの自虐的歴史観(東京裁判史観)を日本人の国民感情に刷り込まれたことに対する報復的な感情から派生してきたものだ。

しかし、一体誰にたいする報復的な感情なのだろうか。
今更アメリカに文句なんて言えた義理じゃない。日本は戦後一貫して安保条約の庇護の下に国家の繁栄を果たしてきたのだから。そうかと云って日中戦争において日本は、加害者であった訳だから中国や韓国に報復感情を向けるのも筋違いの筈だ。

私が思うに、実は靖国神社へのA級戦犯合祀と首相の参拝は、そんなやり場のない報復的感情を浄化する儀礼的な行為でもあるような気がしてならないのだ。
そして中国や韓国の反発が強くなればなるほど、逆にその心理的な浄化作用は強くなってくる、靖国神社への参拝を熱烈に支持する人には、そんな感情のメカニズムが働いてはいないだろうか。




テーマ:靖国参拝
ジャンル:政治・経済
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