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最近本屋に行くと、やたら目に付く活字が靖国。そして靖国問題でかならず引き合いに出されるのが東京裁判。もともとA級戦犯合祀によって靖国問題が外交問題化し国内でも政治問題化したのだから当然といえば当然ではある。
で、この人のサイト(S井)なんか見ると、靖国問題と東京裁判は分離不可能な同一現象と化している。
確かに東京裁判は日本に対する不当な報復裁判であった。私もこれに異論はない。しかし、この人が持っている東京裁判への報復的感情も、尋常ではないのだ。
ほとんど怨念と化した東京裁判への憎悪の呪縛によって、靖国問題においては、完全な思考硬直に陥り、柔軟な判断力を欠いた主張に固執しているように見えるのだ。
小泉総理の靖国参拝を「首相よ、心の戦いの衣を整えよ」って、まるで戦時中の銃後運動のような高揚感に浸りきった謳い文句で、支持を訴えている。
「認識せよ、東京裁判の日本憎悪」このフレーズに彼女の東京裁判にたいする激しい憎悪が端的に表れている。
だが、小泉首相には、そんな東京裁判への思考的感情的な呪縛などさらさらないだろう。
おそらく、彼の靖国神社参拝は、自・他対峙的な欧米流のナショナリズムを貫く政治家を演出した結果なのであって、思想性も浅く、政治的なパフォーマンスとしての色彩が強い。
実はS井の主張も、東京裁判史観の呪縛から逃れられてはいない、と言う点では、戦争犯罪に肯定的な自虐史観に取り憑かれた人となんら変りはない。互いに表裏一体をなす関係なのだ。
いわば彼女自身が、彼女が最も憎悪する東京裁判史観の反動形成物に過ぎないのだ。
これは、東京裁判問題では有名な某漫画家にも言えることなのだろう。
ことさらに中国を敵対視するのも自分達(日本)は悪くない、と言いたいが為の論点のスリかえであると見えなくもない。日本は、悪くないんだからお前たち中国が悪いに決まってるじゃないか、という訳だ。でもこれではあの他罰的脅迫国家、北朝鮮の外交論理とあまり変らない。
日本は中国にODAを、と、ことあるごとに恩着せがましく言うのも変に浅ましく、逆に相手の反感を煽る結果になっていはしないか。
私は、日本はまだまだ反省が足りないからもっと反省すべきだなどと思っている訳ではない。これまで実際には反省なんかしてないクセに、反省しているフリをしてきたことも、却って中国や韓国の不興を買うハメになっているかもしれないのだ。
ただ、靖国参拝の問題は、もはや東京裁判の不当性を訴えるだけでは、収拾がつかない広範な政治外交問題に変化しつつあるというのも事実ではないだろうか。忌まわしい過去の呪縛から解き放たれて、もっと柔軟な発想で考え直すことは出来ないのでしょうか。
で、この人のサイト(S井)なんか見ると、靖国問題と東京裁判は分離不可能な同一現象と化している。
確かに東京裁判は日本に対する不当な報復裁判であった。私もこれに異論はない。しかし、この人が持っている東京裁判への報復的感情も、尋常ではないのだ。
ほとんど怨念と化した東京裁判への憎悪の呪縛によって、靖国問題においては、完全な思考硬直に陥り、柔軟な判断力を欠いた主張に固執しているように見えるのだ。
小泉総理の靖国参拝を「首相よ、心の戦いの衣を整えよ」って、まるで戦時中の銃後運動のような高揚感に浸りきった謳い文句で、支持を訴えている。
「認識せよ、東京裁判の日本憎悪」このフレーズに彼女の東京裁判にたいする激しい憎悪が端的に表れている。
だが、小泉首相には、そんな東京裁判への思考的感情的な呪縛などさらさらないだろう。
おそらく、彼の靖国神社参拝は、自・他対峙的な欧米流のナショナリズムを貫く政治家を演出した結果なのであって、思想性も浅く、政治的なパフォーマンスとしての色彩が強い。
実はS井の主張も、東京裁判史観の呪縛から逃れられてはいない、と言う点では、戦争犯罪に肯定的な自虐史観に取り憑かれた人となんら変りはない。互いに表裏一体をなす関係なのだ。
いわば彼女自身が、彼女が最も憎悪する東京裁判史観の反動形成物に過ぎないのだ。
これは、東京裁判問題では有名な某漫画家にも言えることなのだろう。
ことさらに中国を敵対視するのも自分達(日本)は悪くない、と言いたいが為の論点のスリかえであると見えなくもない。日本は、悪くないんだからお前たち中国が悪いに決まってるじゃないか、という訳だ。でもこれではあの他罰的脅迫国家、北朝鮮の外交論理とあまり変らない。
日本は中国にODAを、と、ことあるごとに恩着せがましく言うのも変に浅ましく、逆に相手の反感を煽る結果になっていはしないか。
私は、日本はまだまだ反省が足りないからもっと反省すべきだなどと思っている訳ではない。これまで実際には反省なんかしてないクセに、反省しているフリをしてきたことも、却って中国や韓国の不興を買うハメになっているかもしれないのだ。
ただ、靖国参拝の問題は、もはや東京裁判の不当性を訴えるだけでは、収拾がつかない広範な政治外交問題に変化しつつあるというのも事実ではないだろうか。忌まわしい過去の呪縛から解き放たれて、もっと柔軟な発想で考え直すことは出来ないのでしょうか。
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