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  突然ユングのことなんだが、大分以前によんだ物理学者パウリとの共著「自然現象と心の構造」においてあの共時性について論考している。日本で翻訳され出版されているアメリカあたりのサイコセラピーの本なんかには、ユングの共時性と夢理論を援用しているものがあるようだ。もちろん、それがどれ程の理論的正当性を持つのか、どれ程の臨床上の実効性を持つのか、もちろん私には解らないが。 
 ユングは「自然現象と心の構造」において共時性の具体例として甲虫と鳥の群れの話を引用している。
で、鳥の群れについての話なのだが、

 ユングの患者の妻は、自分の母や祖母が死んだ時に鳥の群れがやって来たという体験から自分の夫が心臓疾患の疑いで病院へ行く時に既に鳥の群れがいた、ことに激しい不安を感じ、夫は、病院から帰る途中の路上で倒れて死んだというという話だ。激しい不安は、夫の危機に妻の無意識が気づいていた、そして鳥の群れと彼女の無意識は元型的な基盤によって連関付けられていたということなのだろうか?
 だがこれは、共時性によってしか説明のつかないようなめずらしい話なのか?
私の母は、離島で生まれ育ったが、昔私に死期の近い人の家には、カラスが集まり群れをなすことがあるという話をしたことがあった。
 母が子供の頃、病に臥せっていた親戚の老婆の家の庭の木に、カラスが集まり群れをなしていた。それを見た老婆が非常に気味悪がっていたそうなのだが、老婆はそれからまもなく死んだそうである。

 以前私は、それは動物の予知能力などではなく、嗅覚力によるものではないかとの推測を書いたことがある。つまり死期の迫った人間は、すでに何がしかの死臭のようなものを出しており、カラスはその死臭を嗅いで集まってきたのではないか、との推測なのだが。だとすれば別に共時的な現象ではないのだ。

 もちろん野生動物の本能的な予知能力だという可能性も否定するつもりはない。そしてもし、それが彼女の無意識に非因果的ではあるが符合し不安を引き起こしたのなら・・・。

 もし、「意味のある偶然の一致は、元型的な基盤を持っている」(引用)であり、さらに「情動性は、相当程度、本能に基づいており、この本能の形相的な側面こそが元型なのである」(引用)のであれば、共時的な現象であることも否定できないわけだ。

 ユングはこの本において共時性の概念の先駆として中国の道の観念についても言及しているのだが。
 ジェスイット派が道を神と訳したことについて、ユングは西洋的思考法にとってのもみ正しいとしている。
 道は、おそらく万物の存在に先立つ究極の始原性であって、言葉による形容を超越している、と自分なんかは想像するのだ。従って無あるいはカオスといった言葉さえ、結局は便宜的な形容にすぎないような気がするのだが。

 ユングは、Rウィルヘルムが賢明にもそれを意味と解釈した、と書いている。だが、道には意味と解釈できるほどの強い作為性はないような気がするのだ。

 もちろん、神と訳するよりは幾分はマシかもしれない、という程度の意味で賢明と言ったのであれば、判らぬ話でもない。少なくとも道の非人格性については意識していたかも知れないから。

 道は私がイメージする欧米的な神のイメージとはおよそかけ離れた観念だ。で、旧約聖書のヨブ記をテーマにしたユングの著作、「ヨブへの答え」なんかが私にとっては欧米的な神ついてのなかなか興味深い考察なのだ。

 ヨブ記において全能の神ヤーヴェはサタンの誘惑に乗ってヨブに過酷な運命をあたえ神への忠誠心を試す。

 ヨブの忠誠を疑いヨブに嫉妬さえ起こし、神への信義を貫こうとするヨブに厳しく対峙する神ヤーヴェ。
我々仏教民族のイメージする神とも違う。
 ヨブ記の神ヤーヴェは、私からすれば、神、というよりも、フロイトの著作、「トーテムとタブー」なんかにおける原父のイメージにむしろ近いのだ。

 というわけで、一読書オタクの他愛もない雑感なのだが・・・。






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テーマ:読書メモ
ジャンル:本・雑誌
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