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 昨日は、高校二年になる娘の体育祭の見物に言ったのだが、会場で高校時代の同級生に二人も出くわした。
 そう、もうそんな歳になったのだ。
 一人は向こうの方から合図してきたのだが、最初は誰なのか解らなかった。以前よりは太っていたので。
 で、「お前とは以前にも何度か遭ったことがあるが、遭うびに俺に気づかない」と言われてしまったが。
 彼の話だと私の方は、見かけも体型も高校時代とあまり変わらないのだそうだ。うれしい限りだ。
 もちろん、去年14キロも減量したことは、言わなかったが。

 体育祭で少し驚いたのは、親が大勢見に来ていたことだ。私が高校の頃は体育祭だろうが学園祭だろうが親が学校にくることはほとんどなかったし、それが普通だった。

 新聞の事件報道を見る限りでは、家庭崩壊が広範に進んでいるかのような印象を受けるのだが、一方身近なところでは逆に家庭回帰が進んでいるのかな、と思いたくなるよな光景に出くわす。まさか二極化しているという訳でもないだろう。

 新聞で報道される事件は、実際にはめったに起きないわずかな出来事だ。だからニュースになる。たとえ殺人でも身近で日常茶飯事に起こっているならニュースにはならなくなるだろう。
 しかし、新聞やテレビでは、めったに起こらない事件ほど注目度も高く、結果、過度に強調されて報道されるので実際以上に頻発している一般的な現象であるかの如く錯覚しているようなところものかもしれない。
 いうまでもなく、ニートなどという能天気なお気楽野郎は、私の身近にはほとんどいない。

 まぁいずれにしても、同級生が「これが自分にとっては最後の運動会になる」と言った時、ああ、お互い歳をとったのだなと、思った。
が、これといった感慨もなかった。
 しかしこのシーズンに運動会で弁当を食べる、というのがなくなる、というのは一抹の寂しさをかんじないのでもないのだが。
  
 淡々と歳月を重ね、あとは誰にも知られずに消えるように人生のステージを去りたいものだ。「そうい云えばアイツ、この頃さっぱり見かけなくなったな」・・と誰かが言っているのをあの世で笑いながら聞いてみたいものだ。
 でもちょっと無理に達観しすぎかな。現実にはそんな生き方全くできてないし・・・。まぁ、でも自分の理想ではあります。



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