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 新聞テレビでは北朝鮮関係の報道で賑わっているこの頃なのだが、拉致被害者家族会の元事務局長でひところはテレビでも随分よく見かけた蓮池透が「世界」の7月号でインタビューに応じている記事を見かけた。

 何故突然表に出なくなったのか不思議だったのだが、記事を読むと、政府の一部制裁解除を批判する現在の家族会とはかなり考えが違う。対話と行動対行動を強調し、同時に従軍慰安婦問題についても言及し日本政府の姿勢にも疑問を呈する。

 なるほど何故「世界」なのか解る。昨今主流になっている右派ナショナリズム系の雑誌なら到底取り上げてはくれないような主張だ。
 だが、安部政権下での対北朝鮮政策、つまりナショナリズムと愛国心をまるでコブシのように振りかざし、圧力をかけ続ける外交でも結局拉致問題は殆ど進展がなかったわけである。

たしかに、拉致は犯罪だ。だからといって外交交渉に勧善懲悪的なモノサシを持ち込んで圧力をかけ続けるというやり方は現実的には通用しなかったわけだ。家族会にとっては気の毒な話なのだが。
たぶん、日本と北朝鮮、どちらが悪くてどちらが正しいか、なんてことは、もはや、さほど重要な問題ではない。どちらがより得をしたかということが決定的に重要なのだ。

 その点、北朝鮮は、六者会合を利用しアメリカの金融制裁解除、テロ支援国家解除と着実に外交的な成果を上げている。もちろんしたたかな外交交渉のおかげなのだろうが、その間北朝鮮は、体制の存亡をかけてミサイル発射、核実験、と国際社会の制裁覚悟で果敢にリスクもとってきた。
 日本は一体どれ程リスクをとる覚悟があったのか。やはり国家としての危機感の差が日本と北朝鮮の外交的成果の差なのかもしれない。

 もちろん外交には理念もナショナリズムも国家としてのプライドも必要だろう。だが案外、現実には場合によってそんなものを持ち出しては、交渉の邪魔になるだけ、ということはないのだろうか。

 で、結局日本の外交に欠けているのは、数多のウヨク系のブログが主張するように国家としての誇りや理念、ナショナリズムといったようなものではなく、ふつうに、マキャベリ的な怜悧さと戦略性なのではないかと私なんかは思うわけである。

 で、その点においては、おそらく日本よりも北朝鮮の方が長けていると思うわけだ。



 



テーマ:政治・時事問題
ジャンル:政治・経済
 週末のニューヨーク市場がまた荒れ模様だ。東京も週明けは冴えない展開になりそうだな。
 しかしだ、原油高にしても、過剰な投機マネーの流入による高騰であって実際の需給関係からは乖離した値動きだ、なんてもう殊更に強調する必要もないのだろう。   
 それが常態化しているんだから。商品相場の金融商品化は、けっして一時的で特殊な状態ではなく、それが現在のグローバル経済の実態を反映しているのだろうね、多分。

 日本株の現物取引を中心にしている個人投資家は、当面は冬、なのだろうね。
 私も少し資金運用の幅を広げなければならないのか。信用取引の売建も、もっと活用し、外国株の投資信託も検討範囲か。今だと資源関連でロシアかブラジル株ってことになるのかもしれないが、でも、このテの後追いは一つ間違うと貧乏くじ!!

 でも近頃仕事が忙しいなぁ・・・。株取引にもなかなか手が回らない・・・。
 



テーマ:株式日記
ジャンル:株式・投資・マネー
 6日のニューヨーク株式市場が大幅に下げた。394ドル安。なんと世界同時株安以来の下げ幅だとか。
 アメリカの5月の雇用統計が、原因か。
 週明けの東京に波及するのかな。だが私のほうは現在超ディフェンシヴなスタンスなので、そう気にはしていない。
 下げても、多分被害は軽微だと予想している。通期決算の内容がイマイチ気に食わない2銘柄をさらに打って、現在保有しているのは3銘柄。現金の保有比率がかなり高くなっているので。
 相場全体の値動きにさほど過敏に反応せず、むしろ逆の値動きさえみせることもある銘柄も保有しているので。

 来週は首相問責決議案も出るそうな。だがこれは当面の株価にも政局にも全く影響なし、でしょう。
今、問責決議案に素直に応じて解散する、なんて、おりこうさん解散は、やらないと思うのだが、どうだろう。
 それよりむしろ、将来、政権運営が行き詰まり、ポスト福田を睨んで党内で福田下ろしが表面化した時、このまま黙って引きずり下ろされるよりは、と、いちかばちか、ヤケノヤンパチで解散に突っ走る、というのがむしろ現実味のあるシナリオではないのでしょうか・・・。で、もしそれが政界再編のきっかけになる、というのなら、これはこれで悪くないシナリオだ・・・。



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  突然ユングのことなんだが、大分以前によんだ物理学者パウリとの共著「自然現象と心の構造」においてあの共時性について論考している。日本で翻訳され出版されているアメリカあたりのサイコセラピーの本なんかには、ユングの共時性と夢理論を援用しているものがあるようだ。もちろん、それがどれ程の理論的正当性を持つのか、どれ程の臨床上の実効性を持つのか、もちろん私には解らないが。 
 ユングは「自然現象と心の構造」において共時性の具体例として甲虫と鳥の群れの話を引用している。
で、鳥の群れについての話なのだが、

 ユングの患者の妻は、自分の母や祖母が死んだ時に鳥の群れがやって来たという体験から自分の夫が心臓疾患の疑いで病院へ行く時に既に鳥の群れがいた、ことに激しい不安を感じ、夫は、病院から帰る途中の路上で倒れて死んだというという話だ。激しい不安は、夫の危機に妻の無意識が気づいていた、そして鳥の群れと彼女の無意識は元型的な基盤によって連関付けられていたということなのだろうか?
 だがこれは、共時性によってしか説明のつかないようなめずらしい話なのか?
私の母は、離島で生まれ育ったが、昔私に死期の近い人の家には、カラスが集まり群れをなすことがあるという話をしたことがあった。
 母が子供の頃、病に臥せっていた親戚の老婆の家の庭の木に、カラスが集まり群れをなしていた。それを見た老婆が非常に気味悪がっていたそうなのだが、老婆はそれからまもなく死んだそうである。

 以前私は、それは動物の予知能力などではなく、嗅覚力によるものではないかとの推測を書いたことがある。つまり死期の迫った人間は、すでに何がしかの死臭のようなものを出しており、カラスはその死臭を嗅いで集まってきたのではないか、との推測なのだが。だとすれば別に共時的な現象ではないのだ。

 もちろん野生動物の本能的な予知能力だという可能性も否定するつもりはない。そしてもし、それが彼女の無意識に非因果的ではあるが符合し不安を引き起こしたのなら・・・。

 もし、「意味のある偶然の一致は、元型的な基盤を持っている」(引用)であり、さらに「情動性は、相当程度、本能に基づいており、この本能の形相的な側面こそが元型なのである」(引用)のであれば、共時的な現象であることも否定できないわけだ。

 ユングはこの本において共時性の概念の先駆として中国の道の観念についても言及しているのだが。
 ジェスイット派が道を神と訳したことについて、ユングは西洋的思考法にとってのもみ正しいとしている。
 道は、おそらく万物の存在に先立つ究極の始原性であって、言葉による形容を超越している、と自分なんかは想像するのだ。従って無あるいはカオスといった言葉さえ、結局は便宜的な形容にすぎないような気がするのだが。

 ユングは、Rウィルヘルムが賢明にもそれを意味と解釈した、と書いている。だが、道には意味と解釈できるほどの強い作為性はないような気がするのだ。

 もちろん、神と訳するよりは幾分はマシかもしれない、という程度の意味で賢明と言ったのであれば、判らぬ話でもない。少なくとも道の非人格性については意識していたかも知れないから。

 道は私がイメージする欧米的な神のイメージとはおよそかけ離れた観念だ。で、旧約聖書のヨブ記をテーマにしたユングの著作、「ヨブへの答え」なんかが私にとっては欧米的な神ついてのなかなか興味深い考察なのだ。

 ヨブ記において全能の神ヤーヴェはサタンの誘惑に乗ってヨブに過酷な運命をあたえ神への忠誠心を試す。

 ヨブの忠誠を疑いヨブに嫉妬さえ起こし、神への信義を貫こうとするヨブに厳しく対峙する神ヤーヴェ。
我々仏教民族のイメージする神とも違う。
 ヨブ記の神ヤーヴェは、私からすれば、神、というよりも、フロイトの著作、「トーテムとタブー」なんかにおける原父のイメージにむしろ近いのだ。

 というわけで、一読書オタクの他愛もない雑感なのだが・・・。









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