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近くの本屋で中央公論12月号を買ってきた。このテの雑誌はどちらかというとあまり買わない方なのだが目次を見て、へぇ、こんなものがね、と思った特集記事があったので、つい買ってしまった。
目に付いたのは「スピリチュアルって何」という、昔の芥川賞の受賞作の題名に引っ掛けたようなテーマの特集だ。
へぇ、こんなものがブームになっているのか。
スピリチュアルという言葉は勿論知っているが、こんな総合雑誌で、特集を組まれるほどのブームになっているとは全然しらなかった。
東京ではブームになっているのかもしれないが、地方の都市では、それ程目に付くような現象ではない。
自己啓発や瞑想関係のセミナーなどが開催されていない訳でもない。だが最近目立って多くなった、と言うほどでもない。パワーストーンを取り扱っている店を見かけないわけでもない。だが店内にお客がごった返しているという光景にも出くわしたことがない。占いの店は確かに多い。しかし、若い女性客が長い行列を作っている光景などついぞ見かけたことがない。
特集記事よると江原敬之助がブームの火付け役のようだが、もともと沖縄は先祖崇拝を重視する土着の宗教観が根強く、これを体現したユタという霊媒が今でも数多く存在するので、江原敬之助ごときが簡単にそのシェアを奪えるような地域ではないのだ。
だがこの特集をざっと読む限りスピリチュアル的なものの概念は、占い、超能力、ヨーガ、チャネリング、自己啓発セミナー、パワーストーン、数多のサイコセラピー、ユング心理学と、まぁほとんど何でもOK,か、と云いたくなる様な無節操さには少々辟易もする。
ユングの心理学や夢理論は、一部ののサイコセラピーにおいて、安易に利用されすぎている、とは以前から思っていたのだが。
今の日本、自己逃避する方法やアイテムには事欠かないようだ、といいたくなるが、それでは真面目にやっている人に対して失礼かも。でもそんな人達もそれが、表層的で一時的な癒しにはなっても根本的な解決ではない、とは感じているのではないのだろうか。それでもないよりはマシだ、と。たとえその場凌ぎの癒しでもなくちゃやってられない、と。そうではないだろうか。
一種の社会現象と云っていいのだろうが、現在、いかに多くの人が、漠然とした内面的な閉塞感を抱えているか、という推察も成り立たぬわけではない。
現代人の人間関係の希薄さもその一因となっているのだろう。
しかし、一方人々は、希薄な人間関係によって生ずる閉塞感や孤独感を抱えながらも、濃密な人間関係には耐えられない。で、回避する。
要するにショーペンハウアーのヤマアラシ状態なのだが、内面的な閉塞感の解決を現実の人間関係ではなく、霊や前世といったかつて人間だったものとの対話、或いは、狭い占い部屋やサイコセラピーや自己啓発セミナーといった現実から遊離した閉鎖的な空間に求めるのだろう。
だが、こうした行動の契機には一種の退行願望さえも感じるのだ。
数年前高野山に行った。観光客が多かったのだが、これはブームだけで片付けちゃいかんのだろうな。やはり非日常的なスピリチュアルな空気に触れてみたいという願望をいかに多くの人がもっているかということなのかもしれない。

そして、私にとって結構スピリチュアルだった本がこれ。
クリシュナムルティの「自我の終焉」「瞑想録」
インド人なのですが、東洋的な瞑想精神と欧米的な理知が融合したような不思議な魅力のある本です・・・。はい。
目に付いたのは「スピリチュアルって何」という、昔の芥川賞の受賞作の題名に引っ掛けたようなテーマの特集だ。
へぇ、こんなものがブームになっているのか。
スピリチュアルという言葉は勿論知っているが、こんな総合雑誌で、特集を組まれるほどのブームになっているとは全然しらなかった。
東京ではブームになっているのかもしれないが、地方の都市では、それ程目に付くような現象ではない。
自己啓発や瞑想関係のセミナーなどが開催されていない訳でもない。だが最近目立って多くなった、と言うほどでもない。パワーストーンを取り扱っている店を見かけないわけでもない。だが店内にお客がごった返しているという光景にも出くわしたことがない。占いの店は確かに多い。しかし、若い女性客が長い行列を作っている光景などついぞ見かけたことがない。
特集記事よると江原敬之助がブームの火付け役のようだが、もともと沖縄は先祖崇拝を重視する土着の宗教観が根強く、これを体現したユタという霊媒が今でも数多く存在するので、江原敬之助ごときが簡単にそのシェアを奪えるような地域ではないのだ。
だがこの特集をざっと読む限りスピリチュアル的なものの概念は、占い、超能力、ヨーガ、チャネリング、自己啓発セミナー、パワーストーン、数多のサイコセラピー、ユング心理学と、まぁほとんど何でもOK,か、と云いたくなる様な無節操さには少々辟易もする。
ユングの心理学や夢理論は、一部ののサイコセラピーにおいて、安易に利用されすぎている、とは以前から思っていたのだが。
今の日本、自己逃避する方法やアイテムには事欠かないようだ、といいたくなるが、それでは真面目にやっている人に対して失礼かも。でもそんな人達もそれが、表層的で一時的な癒しにはなっても根本的な解決ではない、とは感じているのではないのだろうか。それでもないよりはマシだ、と。たとえその場凌ぎの癒しでもなくちゃやってられない、と。そうではないだろうか。
一種の社会現象と云っていいのだろうが、現在、いかに多くの人が、漠然とした内面的な閉塞感を抱えているか、という推察も成り立たぬわけではない。
現代人の人間関係の希薄さもその一因となっているのだろう。
しかし、一方人々は、希薄な人間関係によって生ずる閉塞感や孤独感を抱えながらも、濃密な人間関係には耐えられない。で、回避する。
要するにショーペンハウアーのヤマアラシ状態なのだが、内面的な閉塞感の解決を現実の人間関係ではなく、霊や前世といったかつて人間だったものとの対話、或いは、狭い占い部屋やサイコセラピーや自己啓発セミナーといった現実から遊離した閉鎖的な空間に求めるのだろう。
だが、こうした行動の契機には一種の退行願望さえも感じるのだ。
数年前高野山に行った。観光客が多かったのだが、これはブームだけで片付けちゃいかんのだろうな。やはり非日常的なスピリチュアルな空気に触れてみたいという願望をいかに多くの人がもっているかということなのかもしれない。

そして、私にとって結構スピリチュアルだった本がこれ。
クリシュナムルティの「自我の終焉」「瞑想録」
![]() | 自我の終焉―絶対自由への道 J.クリシュナムーティ (2000) 篠崎書林 この商品の詳細を見る |
![]() | クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 ジッドゥ クリシュナムルテイ (1998/09) サンマーク出版 この商品の詳細を見る |
インド人なのですが、東洋的な瞑想精神と欧米的な理知が融合したような不思議な魅力のある本です・・・。はい。
日経平均が1万5千円台に低迷。年末にかけて1万7千円台を伺う展開になれば、という私の期待はもろくも崩れてしまったか。
前年の反動という側面もあるだろう。しかし、それも調整局面であって、そんなに長くは続かないだろう、と考えていたのだがそうではなかったようだ。 結局、この低迷相場は一時的な調整局面ではなく、今年の相場の実態だった、というわけか。
しかしてその実態とは。もちろん去年の強い上昇相場のゆれ戻し、という要因もあるだろう。また、既に次の景気後退局面も織り込み始めているのか?
日銀の利上げのタイミングにも市場は、今のところそれ程ナーヴァスに反応しているようには見えないのだが。まぁ、素人の私にはなかなか判断が困難なところだ。
依然景気拡大局面は続いている。だが個人消費がまだ伸びていないようだ。
来年には企業収益の改善が賃金のアップにも波及し個人消費も活発になるのだろうか。そして腰の強い堅調な相場展開になってくれればよいのだが。
今年の反省としては、相場の流れをうまく読みきれなかったということもあるだろう。もっともプロのアナリストでさえ、そのあたりは容易なことではないのだろうが。
素人の私が相場の展開を簡単に読み切ったら、プロの方に失礼というものだ。
しかし下落局面や低迷相場に対する対応が上手く出来なかったのは事実。これが今年の一番大きな反省点か。
勿論、それほど大きな損失を出しているわけじゃない。しかし今年当初の資産総額にまだ戻しきれていない。まぁ、これは、去年が当たり年で出来すぎ、今年はその反動、と考ることにしようか。
2年平均のリターンで勘案するならそれ程悪くもない成績だと思うし。素人としては。
現在、サイボウズを5株ほど保有しているが、2株ほど売って、現在保有している低PERの新興銘柄(マザーズ)を買い足そうかと考えている。
そして住商リースへの公開買い付けも申し込み済み。
代わりに東証一部か二部の業績良好な優良銘柄を買ってバランスを整えようかと考えている。
要するに来年に向けては少しデフェンシヴなスタンスにして仕切り直しだ。
もちろん相場が上昇に転じれば、積極的に利を取りにいくのもいいだろう。その都度保有銘柄を組み替えて対応していく。
とまぁ、そんな風に考えているのだが。
私の保有銘柄は東証の1・2部が主体となっているので、今まで新興市場の動向にそれ程注意していなかった。しかしライブドアショック以降かなり下げているようなのでかなり割安の銘柄もあるのでは、という欲望につい駆られてしまう。来年は新興市場の動向にも注意してみようかとも思っている。
でも、あまり新興銘柄に入れ込みすぎないように。もともと私の投資スタイルはディフェンシヴなのだ。
前年の反動という側面もあるだろう。しかし、それも調整局面であって、そんなに長くは続かないだろう、と考えていたのだがそうではなかったようだ。 結局、この低迷相場は一時的な調整局面ではなく、今年の相場の実態だった、というわけか。
しかしてその実態とは。もちろん去年の強い上昇相場のゆれ戻し、という要因もあるだろう。また、既に次の景気後退局面も織り込み始めているのか?
日銀の利上げのタイミングにも市場は、今のところそれ程ナーヴァスに反応しているようには見えないのだが。まぁ、素人の私にはなかなか判断が困難なところだ。
依然景気拡大局面は続いている。だが個人消費がまだ伸びていないようだ。
来年には企業収益の改善が賃金のアップにも波及し個人消費も活発になるのだろうか。そして腰の強い堅調な相場展開になってくれればよいのだが。
今年の反省としては、相場の流れをうまく読みきれなかったということもあるだろう。もっともプロのアナリストでさえ、そのあたりは容易なことではないのだろうが。
素人の私が相場の展開を簡単に読み切ったら、プロの方に失礼というものだ。
しかし下落局面や低迷相場に対する対応が上手く出来なかったのは事実。これが今年の一番大きな反省点か。
勿論、それほど大きな損失を出しているわけじゃない。しかし今年当初の資産総額にまだ戻しきれていない。まぁ、これは、去年が当たり年で出来すぎ、今年はその反動、と考ることにしようか。
2年平均のリターンで勘案するならそれ程悪くもない成績だと思うし。素人としては。
現在、サイボウズを5株ほど保有しているが、2株ほど売って、現在保有している低PERの新興銘柄(マザーズ)を買い足そうかと考えている。
そして住商リースへの公開買い付けも申し込み済み。
代わりに東証一部か二部の業績良好な優良銘柄を買ってバランスを整えようかと考えている。
要するに来年に向けては少しデフェンシヴなスタンスにして仕切り直しだ。
もちろん相場が上昇に転じれば、積極的に利を取りにいくのもいいだろう。その都度保有銘柄を組み替えて対応していく。
とまぁ、そんな風に考えているのだが。
私の保有銘柄は東証の1・2部が主体となっているので、今まで新興市場の動向にそれ程注意していなかった。しかしライブドアショック以降かなり下げているようなのでかなり割安の銘柄もあるのでは、という欲望につい駆られてしまう。来年は新興市場の動向にも注意してみようかとも思っている。
でも、あまり新興銘柄に入れ込みすぎないように。もともと私の投資スタイルはディフェンシヴなのだ。
教育基本法は野党が審議を拒否で欠席。与党が単独強行採決し衆議院を通過。
与野党双方とも互いのやり方を非難している。
勝手に欠席した側と勝手に採決した側の下らぬ罵り合いなのだが、法案を見る限り何故これほど性急に採決しなければならない程の内容なのか、と考えたくなる。
少なくとも、中教審の最終答申、そして文部科学省の提案理由説明を読んだ限りでは、それほど差し迫った採決が必要な理由はない。
改正案で目に付くのは、個人の人格の育成と完成を主眼とした現行法から、公共精神を重視し、社会や国家の成員として国家と伝統を愛する国家観の形成に重心を移す内容になっていることか。
それと義務教育の機会の保障とその水準の確保に国と地方公共団体の責務を明記したところか。
中教審の答申では、 グローバル化が進展し,国際社会の一員として,まず自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め,尊重し,日本人であることの自覚や,郷土や国を愛する心の涵養を図ることが重要であるとしながら、それが国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない、という内容になっている。
これを見る限りますます何故あんなに性急に採決しなければならないのかますます解らない。もちろんタウンミーティングのやらせ問題を封じ込めるための手段でもあっただろう。
この法律は、戦後の占領政策下における民主化政策の一環として新憲法とともに制定された法律のようだ。
国会議事堂のホームページの会議録検索システムから、昭和22年2月14日の貴族院本会議における文部大臣、高橋誠一郎の議会答弁を見ても、「是は教育の憲法とも稱すべきもの」「又憲法と他の教育法規との關係、關聯を橋渡し致す所のもの」とされ、憲法との関連性が強く意識されている。
さらにその1年後、教育勅語が廃止される。
むしろ、その「教育勅語等排除に関する決議」の方に、新憲法、教育勅語、教育基本法の三法の関係と教育基本法制定の意図と目的が一層明確に現れている。
教育基本法の制定当初は、必ずしも教育勅語の廃止を前提としていたわけではないようだ。だが、旧憲法下の主権在君に基づく国家観と強い親和性を有する教育勅語の指導原理が、新憲法の理念に反する、との認識から廃止となり、これに代わり、教育基本法が新憲法下の教育指導原理としての位置づけがなされた経緯が窺える。
さらに決議が、勅語の存続を国際信義への疑点を残すものとし、ポツダム宣言にも言及していることから、日本の非軍事化、民主化を進めるGHQの占領政策の意向にそって提案されたものであることは明白ではないだろうか。
こうした教育基本法成立の歴史的な背景を考えれば、タカ派ウヨク志向の安部総理にとっては、同法の改正は占領政策の一環として成立した憲法の改正と本質的には同じ意味を持つものであると捉えている可能性も否定出来ない。
だからこそ安部は総理教育基本法の改正案の今国会中での成立に異様な程の執着を見せたのだはないだろうか。
A級戦犯容疑者である岸信介を祖父とし、同じくA級戦犯容疑者の松岡洋右をも親戚筋に持つ安部総理のDNA。
彼の野望は、GHQによる占領政策の制度残滓を日本から完全に抹殺してしまうことなのかも。その執念が、今回の教育基本法の改正に滲みでてはいないだろうか。
だからこそ彼にとっては、教育基本法の改正は、自主憲法の制定を視野に入れた政策である同時に、本質的には憲法改正と同じ意味を持つ政策ではなかっただろうか。そして彼が執念を燃やす憲法改正の序章ではなかっただろうか。
与野党双方とも互いのやり方を非難している。
勝手に欠席した側と勝手に採決した側の下らぬ罵り合いなのだが、法案を見る限り何故これほど性急に採決しなければならない程の内容なのか、と考えたくなる。
少なくとも、中教審の最終答申、そして文部科学省の提案理由説明を読んだ限りでは、それほど差し迫った採決が必要な理由はない。
改正案で目に付くのは、個人の人格の育成と完成を主眼とした現行法から、公共精神を重視し、社会や国家の成員として国家と伝統を愛する国家観の形成に重心を移す内容になっていることか。
それと義務教育の機会の保障とその水準の確保に国と地方公共団体の責務を明記したところか。
中教審の答申では、 グローバル化が進展し,国際社会の一員として,まず自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め,尊重し,日本人であることの自覚や,郷土や国を愛する心の涵養を図ることが重要であるとしながら、それが国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない、という内容になっている。
これを見る限りますます何故あんなに性急に採決しなければならないのかますます解らない。もちろんタウンミーティングのやらせ問題を封じ込めるための手段でもあっただろう。
この法律は、戦後の占領政策下における民主化政策の一環として新憲法とともに制定された法律のようだ。
国会議事堂のホームページの会議録検索システムから、昭和22年2月14日の貴族院本会議における文部大臣、高橋誠一郎の議会答弁を見ても、「是は教育の憲法とも稱すべきもの」「又憲法と他の教育法規との關係、關聯を橋渡し致す所のもの」とされ、憲法との関連性が強く意識されている。
さらにその1年後、教育勅語が廃止される。
むしろ、その「教育勅語等排除に関する決議」の方に、新憲法、教育勅語、教育基本法の三法の関係と教育基本法制定の意図と目的が一層明確に現れている。
教育基本法の制定当初は、必ずしも教育勅語の廃止を前提としていたわけではないようだ。だが、旧憲法下の主権在君に基づく国家観と強い親和性を有する教育勅語の指導原理が、新憲法の理念に反する、との認識から廃止となり、これに代わり、教育基本法が新憲法下の教育指導原理としての位置づけがなされた経緯が窺える。
さらに決議が、勅語の存続を国際信義への疑点を残すものとし、ポツダム宣言にも言及していることから、日本の非軍事化、民主化を進めるGHQの占領政策の意向にそって提案されたものであることは明白ではないだろうか。
こうした教育基本法成立の歴史的な背景を考えれば、タカ派ウヨク志向の安部総理にとっては、同法の改正は占領政策の一環として成立した憲法の改正と本質的には同じ意味を持つものであると捉えている可能性も否定出来ない。
だからこそ安部は総理教育基本法の改正案の今国会中での成立に異様な程の執着を見せたのだはないだろうか。
A級戦犯容疑者である岸信介を祖父とし、同じくA級戦犯容疑者の松岡洋右をも親戚筋に持つ安部総理のDNA。
彼の野望は、GHQによる占領政策の制度残滓を日本から完全に抹殺してしまうことなのかも。その執念が、今回の教育基本法の改正に滲みでてはいないだろうか。
だからこそ彼にとっては、教育基本法の改正は、自主憲法の制定を視野に入れた政策である同時に、本質的には憲法改正と同じ意味を持つ政策ではなかっただろうか。そして彼が執念を燃やす憲法改正の序章ではなかっただろうか。
福島県知事選挙は、民主、社民の推薦する佐藤雄平氏が当選。汚職事件の影響で建設団体や農業、商工団体が選挙活動を自粛したのが理由とされているようだが、今回の選挙だけの個別の特殊事情とは言え、来年の参議院選挙の動向と結び付けて評価されるのは仕方ないのでしょう。
今月19日には沖縄県知事選挙の投票がある。世論調査では、自民公明推薦の仲井真弘多氏と民主、共産、社民、社体の推薦する糸数慶子氏が激しい接戦となっているよだ。琉球新報も横一線と報道している。
投票にも「必ず行く」、と「たぶん行く」の合計が96.8%と関心の高さを示す調査結果となっている。
投票率も勝敗を決する大きな要因となるののではないだろうか。前回の選挙では57.22%という低い投票率で自民公明推薦の稲嶺氏が大勝した。 しかし今回は、世論調査の数字を見る限りでは高い投票率も十分期待できる。
投票率が高くなるとどちらに有利か。投票率を押し上げるのは浮動票層だけに当然結果は読みづらいのだが、今回に関しては、どちらかと云えば糸数氏に有利なような気がする。
国政レベルでは自民党の中川、麻生両氏の核保有議論にかんする発言が政治問題化しているが、沖縄は基地問題を抱えているだけに、日本の核武装といった議論に対する拒絶反応は他府県に比べ強い筈だ。それも糸数氏にとって追い風になる可能性はある。
保守県政が二期続いていただけに、当初は仲井真やや有利かとの思いもあったのだが、現在は全く予断を許さない状況か。
も し福島県知事選に続き、沖縄でも反自公勢力が推薦する糸数氏が勝てば、来年の参議院選挙への影響は無視できないだろう。
青木参院議員会長は与党敗北なら衆議院の解散総選挙は避けられないとの見通しを明らかにしている。このタヌキおやじ、敗北の責任を全て安部におっ被せて、葬り去ってしまおうとの腹かな。
しかし衆議院でも敗北すれば、おそらく安部内閣は短命に終わるのだろう。また公明党がこれをキッカケに公明党が自民党から距離をとり始める可能性だってある。沈んでいく船にいつまでも乗っていれば自分が危うくなる。
いままで小泉の靖国参拝、阿部内閣下での核保有議論と、随分泣かされてきた筈だ。そろそろ波風がたっても決しておかしくはない頃だ。
安全保障や憲法改正問題では公明党よりもむしろ民主党の方に、安部や麻生と近い考えの議員さんが沢山いるのではないだろうか。
もし衆議院解散総選挙で自民党が大敗を喫し阿部内閣総辞職となれば、これを機に大規模な政界再編が起こり自民党が崩壊、その歴史に幕を閉じるというのはあり、かな・・・ん!
野次馬政治ウォッチャーの私にとってはなかなか面白いシナリオだ。
退屈な政治には、もううんざりしている。
はなっから、ありもしない対立軸を無理やりでっち上た政治のお芝居など、もう見飽きた。いい加減に幕をおろして欲しいものだ。
今月19日には沖縄県知事選挙の投票がある。世論調査では、自民公明推薦の仲井真弘多氏と民主、共産、社民、社体の推薦する糸数慶子氏が激しい接戦となっているよだ。琉球新報も横一線と報道している。
投票にも「必ず行く」、と「たぶん行く」の合計が96.8%と関心の高さを示す調査結果となっている。
投票率も勝敗を決する大きな要因となるののではないだろうか。前回の選挙では57.22%という低い投票率で自民公明推薦の稲嶺氏が大勝した。 しかし今回は、世論調査の数字を見る限りでは高い投票率も十分期待できる。
投票率が高くなるとどちらに有利か。投票率を押し上げるのは浮動票層だけに当然結果は読みづらいのだが、今回に関しては、どちらかと云えば糸数氏に有利なような気がする。
国政レベルでは自民党の中川、麻生両氏の核保有議論にかんする発言が政治問題化しているが、沖縄は基地問題を抱えているだけに、日本の核武装といった議論に対する拒絶反応は他府県に比べ強い筈だ。それも糸数氏にとって追い風になる可能性はある。
保守県政が二期続いていただけに、当初は仲井真やや有利かとの思いもあったのだが、現在は全く予断を許さない状況か。
も し福島県知事選に続き、沖縄でも反自公勢力が推薦する糸数氏が勝てば、来年の参議院選挙への影響は無視できないだろう。
青木参院議員会長は与党敗北なら衆議院の解散総選挙は避けられないとの見通しを明らかにしている。このタヌキおやじ、敗北の責任を全て安部におっ被せて、葬り去ってしまおうとの腹かな。
しかし衆議院でも敗北すれば、おそらく安部内閣は短命に終わるのだろう。また公明党がこれをキッカケに公明党が自民党から距離をとり始める可能性だってある。沈んでいく船にいつまでも乗っていれば自分が危うくなる。
いままで小泉の靖国参拝、阿部内閣下での核保有議論と、随分泣かされてきた筈だ。そろそろ波風がたっても決しておかしくはない頃だ。
安全保障や憲法改正問題では公明党よりもむしろ民主党の方に、安部や麻生と近い考えの議員さんが沢山いるのではないだろうか。
もし衆議院解散総選挙で自民党が大敗を喫し阿部内閣総辞職となれば、これを機に大規模な政界再編が起こり自民党が崩壊、その歴史に幕を閉じるというのはあり、かな・・・ん!
野次馬政治ウォッチャーの私にとってはなかなか面白いシナリオだ。
退屈な政治には、もううんざりしている。
はなっから、ありもしない対立軸を無理やりでっち上た政治のお芝居など、もう見飽きた。いい加減に幕をおろして欲しいものだ。
北朝鮮の核実験
北朝鮮が六ヶ国協議に復帰した。今度は核爆弾の再実験という脅迫状を懐にしのばせながら。
前にこのブログで北朝鮮の核実験を不可逆的な暴走だなんて書いてしまったが、条件を小出しにして揺さぶりをかけてくるしたたかさは相変わらず健在のようだ。
「無条件」に復帰する、と言っているが、その「無条件」さえをも一種の条件にして、米国から制裁解除の作業部会を設置するとの条件を取り付けてしまった。しかも核爆弾の再実験という選択肢も残したまま。つまり実際には北朝鮮は何一つ譲歩していない。
そしておそらく、北朝鮮は核兵器の開発を放棄する気など全くない。
米国が北朝鮮の体制崩壊に慎重な姿勢をとっているのは、体制崩壊による北朝鮮の第二のイラク化を懸念しているからだ、という報道記事を以前読んだことがある。しかし、それは北朝鮮がミサイル発射と核実験を強行する以前のことだ。
おそらく米国にとって、北朝鮮の第二のイラク化よりもNPT体制の崩壊のほうがはるかに容認し難い事態だろう。
北朝鮮の六ヶ国協議への復帰は、「赤飯を炊いて喜ぶような話じゃない」のは無論だが、近隣に核を保有する敵対国家が存在する日本の危機感とNPT体制の崩壊をも危惧する米国の危機感は、軸足の位置も微妙に違うのかもしれない。
日本の核保有議論
中川政調会長と麻生外務大臣の核保有議論を肯定する発言が問題視されている。民主主義の原理原則の立場から、あらゆる言論の自由は、保障されるべき、従って核保有の議論もその例外とすべきではない、という趣旨の発言であるならば、全くの正論だ。
しかし両者の発言には、そうした民主主義の原理原則からさらに一歩踏み込んで、そうした議論の必要性をも積極的に容認していると受け取れる内容となっている。
自民党の国対委員長が、火消し役に回っているようだが、一度燃え上がった議論はもみ消せばそれで済むというものでもないだろう。ブログの炎上とは訳が違う。
私自身は核保有には反対なのだが、核武装について議論することを恐れる必要も全くないと考えている。
だが、核保有に賛成する人々は,もし日本が核を保有すれば、東アジアを起点としてNPT体制が崩壊することになる、という危険性を秘めているという現実をどう受け止めるのだろうか。
日本も自前で核の抑止力を持てば日本の安全保障体制は強化されると考えているのだろうか。
しかし、それは幻想に過ぎないかもしれない。核の抑止力が明確に機能するのは、NPT体制が存続し、核保有国間に軍事的政治的なパワーバランスの均衡が存在している時だけだ、と私は考えている。つまり核の抑止力自体も極めて危うい均衡の上に成り立っているものなのだ。
もし仮に日本や韓国が核保有国となったのをきっかけにNPT体制が崩壊し核の拡散が進行すれば、核の抑止力機能自体も急速に弱体化していく、ということは考えられないだろうか。
そして日本が核を保有した際には、その抑止力も期待した程の効果はない、というような事態になっている可能性はないだろうか。
そう、たとえ将来、日本が核を保有出来たとしても決して「赤飯を炊いて喜ぶ」ような話ではないのだ。
そして核の拡散が多数の国家のみならずテロリストにまで及んだ場合、核抑止力を支える前提となっている保有国同士の軍事的政治的なパワーバランスというフィールド自体が消滅することになる。
その時、最悪の事態が訪れるかも。
核兵器の通常兵器化という忌まわしい事態が・・・。
自国の安全保障は勿論何にもまして重要だし、核保有の議論も決して忌避する必要はないと思うが、主要なポストに就く政治家ならもっと世界的な視野に立って慎重に議論を進めて欲しいものだ。
北朝鮮が六ヶ国協議に復帰した。今度は核爆弾の再実験という脅迫状を懐にしのばせながら。
前にこのブログで北朝鮮の核実験を不可逆的な暴走だなんて書いてしまったが、条件を小出しにして揺さぶりをかけてくるしたたかさは相変わらず健在のようだ。
「無条件」に復帰する、と言っているが、その「無条件」さえをも一種の条件にして、米国から制裁解除の作業部会を設置するとの条件を取り付けてしまった。しかも核爆弾の再実験という選択肢も残したまま。つまり実際には北朝鮮は何一つ譲歩していない。
そしておそらく、北朝鮮は核兵器の開発を放棄する気など全くない。
米国が北朝鮮の体制崩壊に慎重な姿勢をとっているのは、体制崩壊による北朝鮮の第二のイラク化を懸念しているからだ、という報道記事を以前読んだことがある。しかし、それは北朝鮮がミサイル発射と核実験を強行する以前のことだ。
おそらく米国にとって、北朝鮮の第二のイラク化よりもNPT体制の崩壊のほうがはるかに容認し難い事態だろう。
北朝鮮の六ヶ国協議への復帰は、「赤飯を炊いて喜ぶような話じゃない」のは無論だが、近隣に核を保有する敵対国家が存在する日本の危機感とNPT体制の崩壊をも危惧する米国の危機感は、軸足の位置も微妙に違うのかもしれない。
日本の核保有議論
中川政調会長と麻生外務大臣の核保有議論を肯定する発言が問題視されている。民主主義の原理原則の立場から、あらゆる言論の自由は、保障されるべき、従って核保有の議論もその例外とすべきではない、という趣旨の発言であるならば、全くの正論だ。
しかし両者の発言には、そうした民主主義の原理原則からさらに一歩踏み込んで、そうした議論の必要性をも積極的に容認していると受け取れる内容となっている。
自民党の国対委員長が、火消し役に回っているようだが、一度燃え上がった議論はもみ消せばそれで済むというものでもないだろう。ブログの炎上とは訳が違う。
私自身は核保有には反対なのだが、核武装について議論することを恐れる必要も全くないと考えている。
だが、核保有に賛成する人々は,もし日本が核を保有すれば、東アジアを起点としてNPT体制が崩壊することになる、という危険性を秘めているという現実をどう受け止めるのだろうか。
日本も自前で核の抑止力を持てば日本の安全保障体制は強化されると考えているのだろうか。
しかし、それは幻想に過ぎないかもしれない。核の抑止力が明確に機能するのは、NPT体制が存続し、核保有国間に軍事的政治的なパワーバランスの均衡が存在している時だけだ、と私は考えている。つまり核の抑止力自体も極めて危うい均衡の上に成り立っているものなのだ。
もし仮に日本や韓国が核保有国となったのをきっかけにNPT体制が崩壊し核の拡散が進行すれば、核の抑止力機能自体も急速に弱体化していく、ということは考えられないだろうか。
そして日本が核を保有した際には、その抑止力も期待した程の効果はない、というような事態になっている可能性はないだろうか。
そう、たとえ将来、日本が核を保有出来たとしても決して「赤飯を炊いて喜ぶ」ような話ではないのだ。
そして核の拡散が多数の国家のみならずテロリストにまで及んだ場合、核抑止力を支える前提となっている保有国同士の軍事的政治的なパワーバランスというフィールド自体が消滅することになる。
その時、最悪の事態が訪れるかも。
核兵器の通常兵器化という忌まわしい事態が・・・。
自国の安全保障は勿論何にもまして重要だし、核保有の議論も決して忌避する必要はないと思うが、主要なポストに就く政治家ならもっと世界的な視野に立って慎重に議論を進めて欲しいものだ。
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