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 以前、富田メモについて討論したテレビ朝日のサンデープロジェクトで、某著名女性評論家S井氏がこのメモを政治問題に利用してはいけない、という発言を繰り返していた。
政治的に利用してはいけない、とい発言自体に、このメモを分祀推進派に政治利用させ勢いづかせてはいけない、という政治的な意図が隠されているのはあまりにも明白だし、これまでの彼女の主張から類推しても、ムシのいい遠回しな自己弁護にしか聞こえない。
 しかしこれがなかなか効果的なのである。どうやら、天皇を政治利用してはならない、というだけでなく、富田メモによってあきらかになった天皇の露骨な自我の発露自体に対する強い忌避の念が国民感情に深く浸透しているようだ。

 また、合祀の正当性を主張する際にその論拠として、東京裁判の不当性を強く主張すればするほど、天皇の戦争責任と言う問題を引きずり出すという自己矛盾に陥ることになると考えたくなるのだが、ところがそうでもないのだ。
東京裁判の不当性を引き合いに出しその上で天皇の戦争責任には全く言及しないのはかなり無理があるのかと思ったら、「天皇は平和主義者だったと思う」とのメインキャスターの一言に誰も異論を唱えない。あれはあれで見ようによっては異様な光景のはずなのだが、そうは見えないところにこの問題が国民感情のみならず、マスコミにとってもタブーの領域に属する問題であるかをあらためて感じる。
 
 もし仮に天皇が個人的に平和主義者だったとしても、天皇の戦争責任という問題とは直接的には関係ない。主義心情がどうであれ、結果的に多くの犠牲者を出したあの戦争の悲惨な結末の責任を一体誰がとるかということとは別の次元で論議されて然るべきなのだ。

 また、そもそも天皇は本当に平和主義者だったのか。
 その点についていろいろ考えさせられるのが「昭和天皇の終戦史」だ。

昭和天皇の終戦史 昭和天皇の終戦史
吉田 裕 (1992/12)
岩波書店

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 この本を読む限り、東京裁判が、戦争犯罪者を裁くと同時に、天皇の戦争責任問題を隠蔽する役割も果たしていた裁判であったことが伺える。
東京裁判がいかに国際法上不当で、しかも戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという日本にとって屈辱的な報復裁判であったとしても、天皇の戦争責任には一切触れず、国体護持を可能にした裁判であったならば、それはそれで当時の日本の国益にかなった裁判ではなかっただろうか。
 のみならず、天皇の宮中側近や政府高官が、天皇の戦争責任問題を回避し国体護持を果たすために、東京裁判を巧妙に利用していた可能性さえ推察できる内容だ。
 東京裁判は、見ようによっては天皇制を占領政策に利用したいGHQと、天皇の戦争責任を回避したい天皇側近と、双方の意図に適った裁判であると考えられなくもない。
 そしてこの東京裁判の孕む二律背反性と、天皇の戦争責任について触れることへの強い忌避の念こそが、靖国神社のA級戦犯合祀問題の議論を混迷に導く、奇妙な足かせとなっているようにも感じられるのだ。

 また、この本では「昭和天皇独白録」についても詳細な分析を試みているのだが、そこには一般的に流布している、学者肌で非政治的立場を貫いた平和主義者という天皇のイメージとは程遠い、現実的で戦略的な政治判断に長けた天皇という人物像が浮かび上がってくる。

 どうやら天皇の戦争責任の問題は、天皇自身だけでなく一般国民にも、さらに普段、在野精神をウリにしているジャーナリストにおいてさえ、タブーの領域にある問題のようだ。

 私は決して、天皇に戦争責任があると主張しているわけではない。ただ、A級戦犯の合祀問題を論ずるたびに東京裁判が大きく取り上げられるのに、本来なら東京裁判とは切り離せないはずの天皇の戦争責任という問題にはほとんど言及されることがないことに、少なからず違和感を持っているだけである。
 
 富田メモの真贋についてもいろいろ議論があるが私は、本物だという前提に立っている。
 その真贋について私のような素人がいくら詮索をしたところで所詮は憶測でしかないから。






 どなたかこの犬をご存じないだろうか。

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     WANTED  
       
 実はこの犬、私が飼っている犬なのだが、昨日から行方不明になっている。柴犬のメスで4才になる。写真はおそらく2才くらいの頃だ。
 この頃は私がエサを過剰に与えていたため、多少肥満体で首の周りに毛皮の襟巻きのような贅肉が付いている。もちろん毛皮には違いないのだが。
 従って現在とはかなり容姿が違う。今の方が可愛らしい。それにしても何故こんなに写真移りが悪いのだろう。
 以前から逃亡癖はあって、二度ほど県の野犬保護施設に捕獲されてあやうく処分されるところだった。
 当初は、番犬に仕立て上げるつもりだったのだが、そのもくろみは見事に失敗した。
 とにかく誰にでもなつくのである。人に対する警戒感というものが全くない。おまけにほとんど吠えない。だからどんなに怪しい奴が侵入してきてもスグにお友達になってしまう。
 何とか吠える犬にする方法はないものかと思案もした。
 しかし、犬の訓練士の話では、吠える犬を吠えないようにするのは、比較的容易なのだが、吠えない犬を吠えるようにするのは非常に困難なのだそうだ。
 しかしこの犬にもとりえというものはある。
 実は去年、私は食事の制限と運動で12キロのダイエットに成功した。運動は、一日置きに一時間程、近くの公園で早足のウォーキングをしたのだが、その時ずっと一緒に付き合ってくれたのがコイツなのである。
 番犬としては、全く役に立たないが、ダイエットサポート犬としての功績は、表彰に値する犬なのだ。
 行方不明になった時、昨日閉めていた筈の門が開いていたのが気にかかる。自分で外にでたのか。それとも誰かに連れさられたのか。
現在、事件事故両面から捜索中である。



サイボウズが、週末にまたストップ高で引けた。ストップ高もストップ安もこんなに多い銘柄もめずらしいな。
 しかし、これで何とか売らずにすんだ。出来れば次の四半期決算発表までは辛抱してホールドしたいものだ。
 今日は晩酌しながら買いている。従って頭も回らない。で、今日はもう寝ます。





昭和天皇のA級戦犯発言について。
昭和天皇がA級戦犯を忌み嫌うのも解らぬ話ではない。A級戦犯者達の背後には“天皇の戦争責任”という忌まわしい亡霊がとりついているのだから。


秋田の殺人事件。次々と犯人の新しい供述が報道される。その都度、専門家や識者から動機についていろいろなコメントが報道される。
犯人の動機が実に不可解な事件なのだが、最近の殺人事件ではそれもめずらしいことではないだろう。特異な殺人事件のほうがむしろ常態化しているのだ。

Yahooのニュースでは、犯人が人格障害者であるという専門家の指摘が流されていたのだが、それで結局、何が説明できたと言うのだろうか。
逮捕された当初から演技性人格障害という推測は当然あったのだろうが、この異常な殺人の動機につて、それは彼女が異常な人間だからだ、と言っているのとあまり変らないわけで、ただ「異常な人間」を「人格障害者」に置き換えただけじゃないかと、ついひねくれた考えに走ってしまう。

また、こうした識者のコメントによって犯罪と人格障害の関係性が過度に強調されるのも問題だ、という意見も当然出てくるだろう。
それに昨今、蔓延している(と私には思われる)母親の子殺し、虐待がすべて人格障害で片付けられては、これまた身も蓋もない話だ。

昔から父親殺しは文学的に普遍的なテーマで、ギリシャ悲劇のオイディプス王 / ソポクレス、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9 / ドストエフスキーが有名だ。
またフロイトは、その著作「トーテムとタブー」においてトーテミズムの起源を太古に行われた父親殺し(原父殺し)に求めている。
しかし母親による子殺しには、そういった普遍的なテーマ性はないのだろうか。
そんなことを考えるのは、昨今の母親の子殺しや虐待が、私の眼には人格障害者の凶行というよりも、母性本能の崩壊のように映ってしまうからだ。

日本の社会が、父性原理を喪失しているとは、よく聞く話だ。しかし、もし母性本能の崩壊といったものが、実際に日本の社会において広範に進行しているとしたら、父性原理の喪失などよりも遥かに不気味な現象だ。もしそんな現象が本当に発生しているのなら、なのだが。

しかし、フロイトの「トーテムとタブー」は、昔読んだ書物なのだが、大変興味深い内容ではあった。ただし疑問もあるのだが。それはまた後日、別に書いておこうかな。




 北朝鮮が韓国との離散家族の再会を中止したそうで。しかしこの後に及んでも、自分の暴挙を棚に上げ、「悪いのはテメェーの方だ、バカヤロー」路線をつっぱしてます。もう完全にキレてしまってるようで。  そしてアメリカでは、脱北者が議会で北朝鮮の内情をカミングアウトしまくってるようで。何となく体制崩壊へまっしぐらという感じがしないでもない。

安部官房長官と麻生外務大臣もここで弱腰になったら、総裁選でコケてしまうという危機感からか、とことことん強行姿勢で制裁強化へまっしぐらという感じです。
こうして他罰的脅迫国家北朝鮮と、自虐的歴史観国家日本のSM外交関係は今まさに幕を閉じようとしているのでありました・・・。

 ところで総裁選候補の動き。何と福田サンが出馬を見送るのでは、との報道が出ています。
「安部よりは、福田のほうがまだマシ」派の自分としては、ツマラない展開だ。
 そうなれば安部の独走態勢は確実。その他の自薦他薦候補者、麻生、谷垣、河野、の総裁選ロングテール3人衆は一気に沈没か。見世物としては、つまらないオチになってしまった。



 ところでサイボウズがまた急落を始めている。yhoo掲示板でもゴールドマンサックス証券の大量保有で悲観的なコメントが目立ってきた。それにダウ平均も下げている。
 来週以降は、損切りも念頭において値動きを見守る必要がありそうだ。へっぴり腰で悔しいのだが。
たしかに銘柄惚れした弱みもある。だが、100倍を超える高PER銘柄をホールドするは、正直言って剣呑だ。
 それにしてもこの乱高下、まるでジェットコースターじゃないか。心臓によくない・・・。



最近、本屋でWEB進化論なる本を見かけて購入した。おそらくサイボウズ株を買う少し前だったと思う。その本で初めてWEB2.0という単語を見かけた。それほど意識していたわけではないが、おそらくこの本がサイボウズ株を買う後押しにもなったかもしれない。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
梅田 望夫 (2006/02/07)
筑摩書房

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WEB進化論

 しかし、この本の著者、もちろんWEB2.0の専門家なのだろうが、本の論調だけをみていると、WEB2.0への過剰なまでの期待感があふれていて、専門家というより心酔者が書いたのか、と勘ぐりを入れたくなる程だ。いきおい表現もどこかお囃子的で落ち着きがない。しかし、WEB2.0の本質を理解するというのは、専門的な知識や技術の超えがたい障壁があって、われわれ一般人には、敷居が高すぎる。
 その点この本は、初心者と同じ目線の高さまで降りてきている親切さも感じられる。まぁ、われわれ素人にはいい入門書なのでしょう。


 そしてサイボウズ株を買った後に購入した本がこれ。
Web2.0 BOOK Web2.0 BOOK
小川 浩(サイボウズ株式会社)、後藤 康成(株式会社ネットエイジ) 他 (2006/03/01)
インプレス

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     WEB2.0 BOOK
  
 「そのまんまじゃねかよ〜」とツッコミを入れたくなるような題名ですが、著者の一人はサイボウズの小川浩。この本も初心者を全く念頭においていないわけではないだろうが、専門用語と注欄の用語解説の多さに少しばかり食傷する。
 一応 オープンソース、ロングテール、ブログが主なキーワードなんでしょうか。そしてOSからWEBへという流れを、googleとマイクロソフトの対立という構図で捕らえている。
ビルゲイツ引退の新聞報道に載った米調査会社CEOのコメントもこの流れについて述べたものだろう。
 ビルゲイツが引退を表明した日は、コンピューターの中に入っている有料ソフトの時代から広告収入をもとにネットで無料配布されるソフトの時代へ移行する日として記憶される、と。
 googleのビジネスモデルがマイクロソフトのビジネスモデルにとって替わる日ということなんでしょうかね。

 また書中、WEB2.0をパラダイムシフトとも形容している。しかし日本においては、WEB2.0的ビジネスモデルは、まだ模索の段階にあるようだ。
 現在進行中のパラダイムシフトということになれば、WEB2.0については専門家の間でもおそらく完結した定義はない、と考えてもよさそうだ。
 そしてサイボウズが日本におけるWEB2.0的ビジネスのリーディングカンパニーとなることを期待してます。





テーマ:投資全般
ジャンル:株式・投資・マネー
 日銀ゼロ金利解除、日経平均は1万5千円を割ってしまいました。
 ゼロ金利決定はすでに織り込み済み、というのが一般的な判断のようだ。原油高騰と地政学的リスク、アメリカ経済の先行き不透明感、と相場が低迷する要因はあるものの、積極的な買いを呼び込む材料に乏しい。当分は軟調な相場展開が続くのでしょう。
 日銀によるゼロ金利解除は政府も容認しているようだし、日経新聞の社説も「時宜を得た決断」と評価している。市場の方も比較的冷静に受け止めていると思う。
 福井総裁の辞任問題も、そろそろ賞味期限切れになるのでしょう。
 前も書いたのだが、結局、退屈が大嫌いで騒々しいのが大好きな世間は、刺激的な話題に飢えているだけ。北朝鮮という超刺激的なニュースが飛び出してきた今、福井総裁の辞任問題は、あえなく賞味期限切れではないでしょうか。
 どうやら北朝鮮のテポドン、実は福井総裁への強力な援護射撃だったようだ。
福井総裁自身も職務を全うすることを表明している。当然でしょうね。今辞めても褒める奴などいるわけがない。世間の失笑を買うだけだ。


 北朝鮮の国連安保理決議は、英仏の折衷案で収拾の方向に向かうのでしょうか。しかし、しかし日米が協調して制裁措置を強化する可能性も完全に消えたわけではないでしょう。  
 とは云え、アメリカもイラクとイランの問題を抱えている今、北朝鮮の体制崩壊にまで対応する余力はない。中ロも北朝鮮問題を対米交渉に利用している。
 そこのあたりで北朝鮮に足元を見られているのだろうが、結局は、北朝鮮は活かさず殺さず、というところで各国の利害の均衡が危うく保たれているのでしょう。

米中ロとも、
「北朝鮮、瀕死の重傷みたいだけど、治してやるつもりなんか全然ないよ。だって、元気になられたんでは始末が悪いし。でもそうかといって今死なれても困るんだよな。」
というのが本音かな。

しかし、体制崩壊は案外早いかも。北朝鮮の体制も各国の利害の均衡も、一つバランスが崩れると、一気に、こう、ガラガラっと・・・。

 ところでこんな時、小泉サンはるか遠くの地へ出かけて行って、中東の和平問題で盛り上がったりなんかしてる。事前に計画されていた外交スケジュールではあるのでしょうがどうも、おい、一体どこ向いてるんだよ、という感じがぬぐえない。
どうやらこの人、内政では全くぶれないようだが、外交に関しては、方向感に乏しいようだ。




  カフカといえば「変身」が定番だ。しかし、仮面ライダーだってバッタの怪物に変身する。昨今、変身物は巷にあふれかえっているのである。

 しかし、当然カフカには、外にもまだ奇抜な物語はある。
「ある流刑地の話」これも奇抜だ。何と云ってもそのナンセンスさたまらない。私が読んだカフカの小説ではこれが一番気に入っている(もっともカフカをそれほど読んでいるわけではないが)。
  砂漠に設置された死刑執行台で上官の命令に服従しなかった兵士の処刑が行われるのだが、とある事情で一人の旅行者がその処刑に立ち会うことになる。
 罪状の内容もナンセンスなのだが、処刑の方法もまたブラックユーモア的なナンセンスでさがあって実にいい。
 結局兵士の処刑は実行されず、処刑人を務める将校が、自ら処刑台に上り刑を執行する。処刑の存続を嘆願する画策を旅行者に拒否され、自殺、と云うより殉職したというべきなのだろう。
 処刑の職務内容のナンセンスさと、将校の職務にたいする強い使命感のギャップに結構奇抜感があるのだ。

ある流刑地の話 / 本野 亨一、フランツ・カフカ 他

 カフカと言えば、不条理という言葉を駆使して人間の存在論的な不安について、言及していくのが一般的なのかもしれない。
 しかし私が読んだ数少ないカフカの小説では主人公にとって職業というものが重要な位置を占めているような気がするのだ。

 「城」の主人公、測量技師は城の依頼人と会うために際限のない探索を続ける。「変身」の主人公、セールスマンのザムザも変身の朝、出勤できない状況で、仕事のことで考え込むくだりがあったように記憶している。
 断食芸人にしても、やはり自分の職務にたいする常軌を逸した愛着とプライドが彼を死に至らしめる。この点については、「ある流刑地の話」の将校も断食芸人となんら変わりはないのだ。

 彼らはいかなる時も職業人としての自分の立場を忘れない。
 自分が直面した極めて理不尽な状況によって、侵食されていく日常性や現実と、自分の職業を通じて、必死に関わりを保ち続けようとする。彼らにとっては、まるで唯一職業だけが、自分が現実社会に存在している証のように見える。そしてその証を失ったとき彼らは、現実とのつながりも失い、不可解な不条理の連鎖に飲み込まれていく。
 
 このあたりに当時カフカが生きた時代の精神的な傾向と家庭環境の反映をみるのは強引だろうか。
 二十世紀初頭、マックス・ウェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という著作によってプロテスタント(とくにカルヴァン派)の禁欲的で厳格な職業倫理について考察している。それそしてそれが資本主義の発達に大きな役割をはたした、とまぁぞんな内容だったろう(なにしろこの本読んだの学生時代だし)。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
マックス ヴェーバー (1989/01)
岩波書店

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 また、父は一代で財を成した裕福なユダヤ人の商人だった。なら父もまた厳格な職業倫理の持ち主だったとしても決して不思議ではない。
  
 そう考えるとカフカの小説は、厳格な職業倫理と職能社会の一面性によって閉塞していく個人の内面的な破綻の寓喩的な表現のようにも思えてくるのだ。
 また、カフカの小説を読むと、私には、いつもある種の未解決感が残る。そう、おそらくカフカの小説は本質的に未解決的なのだ。
 
 決してカフカ的なものではないのだが、実は私には、昔からある内的な未解決感があった。何を解決できないでいるのか、あるいは私自身が解決されていないのか、それはよく解らない。現在は、若い頃ほど先鋭的なものではなくなってきたが、いまなお残存している感覚だ。

 そしてひょっとしたら、その未解決感覚を紛らわすためにこんなブログを書いているのかもしれない。


 ところで「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、マルクス主義の唯物史観の一元性の批判的検証にも力点をおいていて、その点でも評価されていた著作だったと記憶しているのだが。
 しかし現在数少ない共産主義国家の北朝鮮があのていたらくですので。
 まぁ、もっとも今の北朝鮮を共産主義国家と思っている人は、ほとんどいないかもしれません。



 北朝鮮のミサイル発射、日銀のゼロ金利解除のタイミング、そうした要素を織り込みながら、市場もやや重い展開です。
 現在の資産総額は、4,433,799円です。ブログ始めた頃より少し増えてます。
 口座の現金の総額が100万円を少し超えてます。現金の保有比率が増えています。

 実は200株持っていた保有銘柄を100株だけ642,000円で売りました。
 取得価格が282,700円ですので確定利益額は、359,300円です。しか利益確定が目的ではありませんでした。
 私の弱小資金では、一つの銘柄に130万円近く資金が集まっているのはややバランスが偏っていると思ったからです。

この銘柄、市場の全体の地合や値動きに、割合敏感に反応する銘柄でしたので、去年後半のような上昇相場であれば、非常に都合のよい銘柄なのですが、今年のような低迷相場だと、総資金の4分の1以上がこの銘柄に偏っているのは結構な負担になるのです。それで半分だけ処分しました。

 私の資金量で分散投資を心がけようとするならば、どうしても一単位株での保有が基本となります。



以前、北朝鮮の金英男とその家族の面会について感想をこのブログで書いた。
 その時、切り札というものは、出すタイミングが重要で、タイミングを間違えれば、効果がないばかりでなく、出した方が災禍を負うハメになることもある、といったことを書いた。
 そして、北朝鮮が今度はミサイルを7発も発射した。このタイミング、一体北朝鮮にとって起死回生の打開策となるだろうか、それとも墓穴を掘ることになるのか。

 アメリカの独立記念日だった、はご愛嬌としても、問題は何と云ってもサミット開催前だ。
 国際社会の注目を集め、一気にアメリカとの直接交渉に持ち込めれば、北朝鮮の思惑どおりなのかもしれないが、下手をすれば中国とロシアを外交上の窮地に追い込み、北朝鮮は、大事な後ろ盾を失う可能性さえある。
また日米を初めとする国際社会からの、より一層の厳しい制裁をも覚悟しなければならないだろう。
今のところ、中国もロシアも少なくとも表面上は冷静に対処しているようだが、事態の収拾策が日米のペースで進むのを嫌っている部分もあるのだろう。

ミサイル発射が北朝鮮にとって最強の切り札であることは間違いないだろう。だからこそ切るタイミングを間違えると、その反動も大きい。北朝鮮の方が深刻な痛手を負う可能性だって十分にあると思うのだ。このタイミングに、この桶狭間的暴挙、はたして北朝鮮の命運やいかに。
中国とロシアが北朝鮮をかばいきれなくなる事態も予想できる位の危険な賭では。しかし、体制崩壊の危機を脱し、国家体制を維持するためには、国内外に対してこんなショック療法が必要なほど北朝鮮の危機的状況は極まった状態にあるということか。

ライス国務長官が「北朝鮮の意図は解らない」と話すほどの事態(日経新聞)だ。しかし、軍部の暴走、という説には安部官房長官が否定的な見解を示しているようだ。
テレビでは、コリアレポートの編集長が、金正日と軍部は一心同体だと話していた。だから金正日の指示がなければ、軍がミサイルを発射することはない、と。
一心同体ということは、金正日は軍部を完全に掌握しているということなのかもしれない。しかしだ、一心同体なんだから、逆に軍も金正日を完全に掌握しているといっても、別に矛盾はないかもしれない。多少レトリックを弄ぶような言い回しになっているのは十分承知している。
要するに、今回のミサイル発射は軍部の独断専行ではないにしても、金正日の決定に軍の意向が強く反映されている可能性は十分にあるのではないかということだ。
ミサイル発射が軍部の暴走ではないにせよ、体制内での軍部の影響力は強大なものではなかろうか。だからあえて暴走などする必要がないだけのことではないだろうか。

軍部の強硬派の暴走ではないとしたら、何故北朝鮮はミサイルを発射したのか。
ミサイル発射を北朝鮮のしたたかな外交戦略であると同時に危険な賭けでもあるが、私にはまた、非常に稚拙な国力の誇示にも思える。
そしてこうした、誇大で稚拙ながらも派手な、示威行為を繰り返す国家体質は、軍事独裁国家に特有のものではないだろうか。
私には、北朝鮮のミサイル発射は、したたかな外交戦略と、引くに引けない状況で打って出た危険な賭け、また軍事国家特有の稚拙で誇大な国力のデモンストレーション、そうした相反する要因のグロテスクな混交物に見えるのだ。だから真意が読めない。

アメリカは北朝鮮の存在を問題視しながらも、体制が崩壊し第二のイラクと化することを恐れていると云う。また中国は中国で、北朝鮮への影響力の行使を対米外交のカードとして利用している。つまり双方とも当面は北朝鮮を(活かさず殺さず)の状態にしておきたかったのでは。そして北朝鮮は日米双方の奇妙な利害の一致が作り上げた平衡状態の間で国家体制を存続させてきたのではなかろうか。

 しかし、こうした平衡状況が北朝鮮にとっては、一種の閉塞状況に変質してきた。結果、北朝鮮みずからがその平衡を大きく揺るがす行為に踏み出した。
 と、まぁそんな構図なのかなと・・・。




 日銀が役員の金融取引の禁止と総裁、副総裁の資産公開を義務付ける内規の骨格を決定した。
事態が収拾の方向に向かうかは流動的で総裁の株取引が決着に向かうかも不透明。マスコミの報道ではそんなところか。
しかし、もし株取引を全くやったことのない人、つまり株式投資や市場の動きなどの現実の実体経済に全く興味や関心を示さない人が総裁になっていたらどうなるのだろう。
 それよりは自分でも株取引の経験があって、株式市場の持つ独特のメンタリティを体感できている人が、金融のカジトリをしたほうがいいのでは、と思うのだが。

 日銀の内規見直しにより、すぐに決着はつかないにしても、いずれこの問題に対する国民の関心は急速に薄れていくだろう、それも思いの外早く。と私は思っている。
 連日テレビや新聞雑誌を賑わすこの事件も、マスコミが報道する、国民がこれに過剰な関心を示す、それに対しマスコミの報道がさらに過熱する、
といったプロセスを円環的に繰り返す一種のスパイラル現象がおきている。

 しかし往々にして、この種の問題で国民がマスコミに対して求めているのは、実はこの問題そのものの報道ではなく、より刺激的な話題を探し出して提供して欲しいだけなのだ。退屈するのはいやだ、だからより刺激的な話題を、という訳である。

村上氏が逮捕され、今度は、福井総裁の株取引問題が、マスコミの表舞台に衝撃的に飛び出してきた。これに国民が一斉に飛びついた。しかし、この種の事件は、鮮度が落ちるのも結構早い。
 さらに鮮度の高いより刺激的な話題が見つかれば、国民の関心は一気にそちらの方向に向かうだろう。
そしてその時、福井総裁の株取引問題はあえなく賞味期限切れとなる。
そうなればあとは、福井総裁が辞任しようがしまいが、そんなことは国民にとっては、もうどうだっていい事なのだ。 

 福井総裁への巷の批判にはどこかワイドショー的なに匂いがぷんぷんしている。つまり、この問題に対する世間の関心や非難には、当初から三面記事的な要素も結構強かったのではないだろうか。

 私は、前の記事で福井総裁辞任すべしと云う主張にはルサンチマン的な反感が潜んでいる、と書いた。福井総裁を引きずり落として辞任に追い込んでしまえば、溜飲は下がる。その後はと言えば、もう誰もそんな問題などに興味を示さなくなるだろう。もうどうだっていい過去の話題になってしまうのだ。
 もし福井総裁が辞任したとして、一般の人々の中に、これで日本の金融システムの公正さと客観性が保たれた、と心底から喜ぶ人間が一体何人いるのだろう。
 ほとんどいない、それが私の予想だ。
 
 



5〜6年ほど前、株式投資を始めたいが、躊躇して実行に移せなかった時に読んだ本が、フィッシャーの『「超」成長株投資』だった。

フィッシャーの「超」成長株投資―普通株で普通でない利益を得るために フィッシャーの「超」成長株投資―普通株で普通でない利益を得るために
荒井 拓也、フィリップ・A. フィッシャー 他 (2000/10)
フォレスト出版

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  「超」成長株投資

それまでの私には、株取引がどこか胡散臭いものだという先入観があったのだが、この本がそんな先入観を完全に払拭してくれた。
 正直なところ読んで感動さえ覚えた。私が株式投資を始めたスタートラインとなったのがこの本なのだ。あのウォーレン・バフェットに大きな影響を与えた本としてよく知られている。
 もちろん現実は厳しく、この本に書いてあるようには決して上手くいかないが。
「正しく選び抜いて買った株には売り時などほぼ存在しない」
そんな投資は、私にとって究極の理想なんだが。

究極の理想ではなくより実用的なのが、この本。全米ナンバー1とも称される伝説のファンドマネージャーなんだそうだ。
 アマの知恵でプロを出し抜け!!

ピーター・リンチの株で勝つ―アマの知恵でプロを出し抜け ピーター・リンチの株で勝つ―アマの知恵でプロを出し抜け
ピーター リンチ、ジョン ロスチャイルド 他 (2001/03)
ダイヤモンド社

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  株で勝つ

 昨今の投資ブームの影響なのだろうか。本屋には、投資の入門書も平積みでところ狭しと並んでいる状態だが、題名を見ると、あまりの調子のよさについ腹が立ってくるほどだ。従って中を覗いて見る気にもならない。
ニートから億万長者になる、大学生の私が1億円かせいだ、株でできる主婦のお小遣い稼ぎなんてのもあったかな。また株で毎月10万円以上儲ける法とか、いちいち題名覚えているわけじゃないが、そんなところだろう。たしか、おそるおそるの信用取引なんてのもあった。
 

 つい5〜6年前に私が読んだ株式投資の入門書は、株は貯蓄の延長、株は余剰資金でやれ、使途目的のある金には絶対手を出すな、とそんな内容の本が主流だったような気がするのだが。
性格なのだろうか。私には、成功体験からこうすれば儲かるという内容の本よりも、失敗体験からこうしてはいけないと言った教訓的な論調の本が性にあっているようだ。結果実際に好んで読むのもそんな本が多い。以下の本が読んでとても面白かった。

株式投資これだけはやってはいけない 株式投資これだけはやってはいけない
東保 裕之 (2002/06)
日本経済新聞社

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  株式投資 これだけはやってはいけない

一兆円トレーダーに学ぶ投資の摂理―相場で大怪我しないための四つの約束事 一兆円トレーダーに学ぶ投資の摂理―相場で大怪我しないための四つの約束事
寺西 功 (2006/02)
東洋経済新報社

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  投資の摂理

95%の情けない投資家に贈る本―どん底を見た投資家の復活投資指南 95%の情けない投資家に贈る本―どん底を見た投資家の復活投資指南
木戸 次郎 (2001/08)
第二海援隊

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   95%の情けない投資家に送る本

著者はいずれも元証券会社の社員。相場の甘いも辛いも知り尽くした人達なのだろう。あの山一證券の社員だった著者もいる。
まぁ、当面の私の目標はと言えば、大儲けすることよりも、致命的な損失を負わないこと。そして株式市場から決して撤退しない、それを10年間維持できればそこそこの利益はだせるんじゃないか、と信じてやっていこうと思っている。
ついでに、私がたまに覗いている株式投資のサイト。地に足のついた投資サイト、とそんな感じです。http://bose.blog.ocn.ne.jp/




テレビでは、韓国人拉致被害者会見と横田夫妻の落胆した表情とコメントが交互に映し出される。
 金英男さん、こう云っては悪いが、拉致被害者と言うより、対日韓工作員という印象の方がむしろ強い。この会見が拉致問題における日韓の分断を画策したものだという見方が一般的なのだろうが、まだこんなカードを温存していたことに改めて北朝鮮のしたたかさを感じる。

概して、切り札というものは、その出すタイミングが非常に重要だ。うまいタイミングで出せば非常に効果的だが、タイミングを外して出してしまうとほとんど効果がないばかりでなく、場合によっては、出した方に厄難となることさえあるのではないだろうか。

 そういう観点に立てば、日韓の拉致被害者家族同士が対面を果たした今、金英男を出してきた北朝鮮のタイミングは、やはりうまいと言うべきなのだろう。

 日本は拉致問題において、被害者当事国である韓国とさえ同調しきれない。まして中国の理解や協力を得ることができるとはどうしても思えない。
 北朝鮮のやっていることは悪であり、正されて然るべき、という日本では当然とも思える考え方が実は意外と韓国や中国には通用していないのでは。
 おそらく国家間の外交上の問題においては、そんな一面的な善悪観を振りかざしても、それほど役には立たないということだ。
 両国の拉致問題に対するスタンスも、そんな一義的な善悪観で推し量れるほど単純なものではないのだろう。

 何といっても韓国は北朝鮮とは同一の民族だ。その点の持つ意味の重さを日本は理解しているようで、実際はほとんど理解していないのかもしれない。
 中国にしても、北朝鮮を悪の枢軸と非難するアメリカなどとちがって、そんな薄っぺらな正義感だけで動くような国ではないような気がするのだ。
 何といっても中国4千年の歴史。そうあの易経を生み出した国だ。
易経〈上〉 易経〈上〉
(1969/01)
岩波書店

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 易経といえば占いの本、程度にしか思われていないのかもしれない。しかし、この本、中国の哲学思想の根幹をなす書物とも云われている。
さらに、この書物にはもう一つの側面があると私は思うのだ。 
それは、絶え間なく盛衰興亡を繰り返してやまない過酷な現実を、滅びることなく生き延びるための卓抜した処世術だ。

たしかに国家間の紛争にも場合によっては善と悪はあるだろう。だからといってことさらに正義感を振りかざして事に処す、という方法。実はこれほど危ういことはないのではないだろうか。国家間だけではない。常日頃の会社における人間関係においても、そう感じたことのある人は多いと思う。

ブッシュ大統領が、北朝鮮やイランを悪の枢軸と呼び、ジョン・ウェインの西部劇なみのシンプルな正義感を振りかざしていても外交問題を処理できるのも、結局は圧倒的な力の背景があってのことだ。おそらく力にたよってさえいれば、多少は拙劣な外交政策でも破綻をきたすことはないのだろう。

日本がアメリカの同盟国という口実のもとに、過度にアメリカと歩調をあわせているのも、ひょっとしたら拙劣な外交なのかもしれない。しかし、日本の力は、日米関係、なかんずく安保条約に頼った、結局は借り物の力だ。

小泉首相は就任当初、外交手腕に関しては未知数と言われていた。
 ひょっとしたら日本は今、急激に外交オンチの国に成り下がっているのかもしれないぞ。





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